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2010/02/02

東大寺二月堂へ

2月2日、今朝起きたらうっすら雪が積もっていた。さ~、チャリをこぐか電車に乗るか・・・・。テレビを見ながら考えて、無茶はしない方がいいと大人しく電車で出勤した。同僚たちにどうやって来た?って聞いたら、K子ちゃんはいつも通り根岸からチャリで来たんだと・・・・ほぉ~、何と勇敢な・・・・!。私だっていなかにいたころは雪を物ともせず曲芸的にチャリをこいでいたんざますよ!でも今は・・・・。

一気にまとめられなくて、ダラ~と続く冬の奈良・京都の旅日記。いつ終わるん?!1001280124


広~い奈良公園の中の広~い東大寺、正倉院はその北端に位置している。門の奥に見えるのが校倉造りの正倉。西方から渡ってきた文物や宝物などシルクロードの落し物。これらは一般公開されず、通常は外構えだけの見学になる。このあたりから大仏殿の後ろを通り、二月堂を目指した。

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大仏殿を過ぎた道端にあった。辻々でこうしたいつの時代のものかもわからない道標?地蔵さまを見かけた。華やかな大寺の懐の素朴な風景。

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僧坊らしき建物や仏殿や神前にお供えするのか稲田も見える。緩やかな坂道を登って行った先に見えてきた二月堂。3月に修二会が行われる。二月堂を建てた僧実忠(インドかイランからの渡来人とも言われている)により天平勝宝4年(752年)に始められたとされ、以来、一度も途絶えることなしに続き今年が1258回。東大寺練行衆と呼ばれる修行僧たちの荒行で、2月の前行、3月の本行と続き、行の後半のお松明とお水取り、練行衆たちが激しく五体当地を繰り返す韃靼(だったん)や走行(はしりぎょう)が公開される。この行が庶民に公開されたのがいつからなのか知らないが、修行僧の荒行を遠巻きに息を詰めて見守り、お松明の火の粉を浴びることにより、古い年の穢れを落とし生まれ変われるという。江戸時代寛文年間にお松明の荒行の際に二月堂が全焼してしまったことがあったという。何しろ木造建築の中で松明を掲げて走り回ったり、激しく床に打ち付けたりするもの。平家の南都焼打ちが起きた時でもひるむことなく繰り返されてきた秘儀である。お堂が焼けたくらいで中止するわけにはいかないということか、再建されるまで場所を麓の三月堂に移して行われたという。東大寺の深さの一端に初めて触れたような気がする。

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二月堂の足元にある閼伽井屋(あかいや)は若狭井と呼ばれる。漁業の神様、遠敷(おにゅう)明神が最初の修二会の呼び出しの時、釣りに夢中になって遅刻してしまった。お詫びに地元の若狭から香水という清水を毎年修二会に合わせて送る約束を交わした時に二月堂の下からコンコンと水がわき出たという。同時期にこれに呼応するように「お水送り」の行われるのが若狭・小浜にある神宮寺。神事と仏行が入り混ざって何という深さなのだろう。

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二月堂から遠く奈良盆地を望む。興福寺五重の塔が霞んでいる。天平の甍ってところかな。

 

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