
誰が買ってきたのだかわからない本が雑然としていまして、こんな感じで「ツン読」状態です。気が向いたときにごそごそ本の山を崩して漁っています(笑)。
図書館で借りて読んだ辻邦生の「西行花伝」は、著者の流麗な語りでとても魅力的な男性としての西行を発見することができました。漂泊、隠遁の歌人と言えば、吉田兼好や鴨長明、松尾芭蕉など数多の名が浮かびますが、西行の場合、どんなに忍んでも艶(いろ)がにじみ出てくる、そんな男性像を感じます。西行からの連想で「西行物語」(桑原博史・訳)や「世阿弥の能」(堂本正樹・著)なども読みかけですがあと少しで読了。
読書の時間がたっぷりありすぎても、今まで通勤時間や、休憩時間、寝入りばなの短時間に斜め読みするクセのついている私は、一冊にどっぷりと浸かってしまえない性質です。併行して読み始めたのが、堀田善衛さんの「上海にて」。これは読み応えがあり、一気に読んでしまいました。青年期、終戦前後を中国国民党員として上海で過ごした著者の、「国際理解の真義」「異民族交渉」についての冷徹、鋭敏な視線が光っています。彼自身は優しく無器用なほどの正直な青年で、だからこそ淡々とした筆致ながらも、人間のどうしようもない醜さや血生臭い歴史背景が痛ましいほどに伝わってきます。
痛切な思いで聞いたという8月15日の天皇の「終戦勅語」について彼はこう記しています。
あの時天皇はなんと挨拶をしたか。負けたとも降伏したとも言わぬというのもそもそも不審であったが、これらの協力者(注、戦時日本に協力したため粛清に遭った漢汗などと呼ばれた人々)に対して、遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス、という、この嫌味な二重否定、それきりであった。・・・・(中略)・・・・私は聞き終わって、これでは日本人が可哀想だ、というふうに思った。なぜ可哀想か。天皇のこんなふうな代表挨拶では、協力をしてくれた中国人その他の諸国の人々に対して、たとえそれがどんな人物であれ、またどんな動機目的で日本側に近づいてきたものにせよ、日本人の(終戦を宣する)代表挨拶がこれでは相対することさえできやしないではないか・・・・。それはともあれ、国家、政治というもののエゴイズムをいやというほど見せつけられた。
少々引用が長くなってしまいましたが、私が今まで何となくぼんやり感じていたことをきちんと文字に表現してくださったようで、心の中でうなずきながら読み終えました。まだ中国との国交さえも回復していない頃に書かれた文章ですが、考え方はぜんぜん古くなくむしろ今読まれてよい本だと思いました。

ご心配をおかけしましたが、日に日に回復し経過は順調です。
3月のスケジュールは公私ともにたて込んでいますので、日記を書くのも滞るかもしれません。
どなた様もお忙しい時節柄、お体ご自愛くださいませ!
きょうの日記が記念すべき700本目になりました
3年以上書き続けても日数は2年分にも満たないのですが、三日坊主で不定期でもここまで書き続けたのだから、自分のことをホメてあげましょう
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