「心慕手追」という言葉を最近知りました。
心の中で願うこと祈ることは、二本の両の手が叶えてくれる、そんな意味だそうです。
大切な者を慈しみ、癒し、力を分け与え、愛情さえも表現できるはずの手は、時として他者を傷つける冷酷で残忍な悪意と暴力に操られる罪深い手に変わってしまいます。
誰が望むでしょう、自らの手で他者を奈落の苦しみに突き落とすことを・・・・。
でも「あの青年」の手は歯止めがまったく利きませんでした。・・・・もしかしたら慈愛の表現としての手の記憶が絶望的に欠如していたのではないかと思うのです。「あの青年」に対してはこれから様々な検証がなされるのでしょうが、許すことなど到底できない犯罪です。
● ● ● ● ●
きょうは勤務地の管轄警察署主催の合同テロ対策訓練と講義を受けてきました。スケジュールはずっと以前に決まっていましたが、隣の管轄区域で起きたつい先日の大事件の衝撃もいまだ覚めやらず、参加した人々は一様に緊張の面持ちで真剣に臨んでおりました。先日の事件はテロとは無関係ですが、突然街中で起きるそのような暴力に対しての対処法もシュミレーションを行いました。万が一そうした場面に遭遇したとき、自分はどんな行動がとれるでしょう。
首都圏で発生するのは大地震が先か、国際テロが先か、と囁かれるほど、今、日本は国際テロリズムの標的として最大の脅威にさらされています。私たちの今のこの平穏な生活を守るのにどれだけの努力ができるかふと考えてみると、目に映るのは不安定なバランスを取りながらも辛うじて動いている周辺社会です。要求はするけれど、奉仕ができない今の社会風潮では、テロを防御する強い社会的絆を育ててゆくのは大変困難なことだと思います。
資料で、自爆テロ未遂に終わったイスラム女性の写真を見ましたが、心が凍りつく写真でした。民族衣装の下に似つかわしくない胴周りにぐるぐる巻いた爆発物・・・・。
昨今の国際テロに関して昔と様相が変わってきているのは、テロリズムのグローバルな広がり・・・・どういうことかというと、インターネットにより様々な国の様々な人々の思想に瞬時に接することが可能になり、特定の思想主義を持つグループの国以外の第三国の人間が感化され、実際にテロを起こす可能性があるということです。極端な例えで言えば、近所の高校生がアルカイダの思想に染まり、爆弾製造法をインターネットで取り込み、爆破テロを決行することも有り得るということでした。この日、お話をして下さったのは機動隊出身、命の瀬戸際に幾度となく接してこられ、現在は当管轄地域のテロ対策の陣頭指揮を取っておられる方でした。
突然の理不尽な暴力により明日には命を落とすかもしれない、こう考えてしまうのは悲観的に過ぎるでしょうか?暗く沈んでしまいます。嫌な世の中だと・・・・。が、私たちに出来ることは、実際にテロリストの銃に向かい合わずとも、世界のどこかに存在する悪意・暴力に対して強い心でNOが言えること、それだけは諦めてはいけないことだと思ったテロ対策訓練でした。
最近のコメント