昨日の夜、NHKで放映されたその時歴史が動いた.「戦後引き揚げ 660万人故郷への道」を視聴した感想を昨日の日記に書こうと思っていました。引揚の歴史はまったく知らないことではなかったのですが、番組終盤で厚生省博多引揚援護局二日市保健所の生々しい実態に衝撃を受け、その夜は日記に書くよりも、まず頭の中を整理するために、ゆっくりと布団の中で様々な思いを巡らせていたら、目が冴え々々となり、眠れない夜を過ごしました。忘れかけていた記憶にもう一度くさびを打たれたような気がします。
当時の内閣(陸軍)が満州という他人の土地に勝手に理想国創出を企図し、満州開拓に一般民衆を巻き込んでいった経緯と、終戦直後に始まった彼ら開拓民の故国へ帰るための想像を絶する苦難。シベリア軍の国際法違反ではないかと思われる、満州への南下により壮年男性の多くがシベリア抑留となってしまったり、これらを含めて、終戦時に海外(主に北東アジア)にいた日本人の引揚が終了したのは、東京オリンピックが行われる3年前の昭和36年6月だったそうです。衝撃を感じます。
私の母は終戦時に上海近郊に居住しておりました。当時、華中鉄道職員だった祖父と祖母、母を含む三人姉妹の5人家族で社宅住まいだったそうです。テラスハウスのようなモダンな社宅で囲まれた広場には、当時上海にいたヨーロッパ各国の人々も出入りをし、広場に遊びに行くと彼らも一緒に無邪気にボール投げなどに興じるという、戦時中とは思えない長閑な雰囲気があったそうです。母の子ども時代は、彼の地では良き思い出に飾られているようです。
華中鉄道というのは当時上海~南京を結ぶ鉄路で、歴史上では南満州鉄道の影に隠れていますが、同じ国策企業と言っても、侵略に等しい開発を強引に推し進めた満鉄とは少々性格が違うようです。母達は幸運だったと思います。なぜなら、上海という沿岸部の都市に居住していたため、比較的早くに引揚が進み、家族全員一緒に無事に帰国できました。それでも引揚船に乗る時までの不安は今でも時々口にします。しっかり港に接岸できないために小さなボートと引揚船に渡しかけた細い橋を海に滑り落ちそうな恐怖と闘いながら乗船したりしたそうです。無事に帰ってきたからこそ今の私がいるのだと思うと感慨深いものがあります。
対照的に北東満州など内陸部に移住していた日本人の苦労はあまりにも悲惨でした。
母の引揚体験を興味深く聞くようになったころ、私はこの本に出会いました。新田次郎氏夫人の藤原ていさん著作の「流れる星は生きている」です。気象庁職員として満州に赴任した夫・三人の子どもたちとの生活が暗転、シベリヤに抑留された夫と離れ、女手一つで子どもを抱えて日本に帰るまでの苦難の道のりが描かれています。「母の愛」「生への執着」「困難に真正面から向き合う強さ」などなど、いろいろな事を考えさせられました。
歴史上稀なわが国の国民の難民体験を、事実に基づき情緒を廃した冷静かつ強靭な精神力を感じさせる筆致で書かれているのが、むしろ藤原ていさんの戦争に対する激しい怒りを訴えかけているようでした。余談となりますが彼女は引揚の際に苦難をともにした知人、友人の相次ぐ悲報に悲観し、遺書としてこの本を残そうとしたそうです。平和を願う人、人種を問わず、多くの国々の人々に読んでもらいたいと思います。
一昨年、「国家の品格」を書いてベストセラーになった数学者の藤原正彦氏は新田次郎・藤原てい夫妻のご子息であるのは知られすぎるほど知られていることですね。
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