傍観者からの手紙~FROM LONDON 2003-2005

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朝夕涼しくなってきたので、気分だけでもぬくぬくしようとソファにカバーをかけたら、この方がさっそく独占しています。

「にゃに?文句あるの?にゃおこさん・・・・」てな感じで悠然と毛づくろいにいそしむトロ。

ここはアタシも好きな場所なんだけど、下の床に座ってソファにひじ枕しながら本を読み、トロをからかったりして。(笑)

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久々に外岡秀俊氏の文章・言葉に触れたくなり書店で何冊か探し出し、見出しをめくって閃くものがあり手に取ったのは「傍観者からの手紙」。ロンドン在任中に知人の編集者と取り交わした往復書簡や、「手紙」の形式を取った覚書のいくつかを編集したもの。2003年~2005年といえば、私にとっても身辺が大きな波に揺られていたころで、当時のことを思い出しながら読んでいる。この本は彼が以前文藝賞を受賞した小説書きでもあるのがよくわかる作品だと思う。

9.11以降の時局を取り扱っているのにも関わらず、その生気が薄れずに心に響いてくるのはなぜなのか?彼自身の解説で作品中でこの手紙の意図するものに触れている。

時局に関する情報は、テレビ・新聞のサイトで分刻みで更新され消えてゆきます。手紙を書く現時点の情報はお手元に届くころには旧聞になっているでしょう。そこで手紙を書くにあたっては、時局に関する今の情報がなんらかの意味をもつように、欧州の歴史や文学などのフィルターにかけることを思いつきました。歴史のフィルターを通すことで時局情報から不純物を取り除き、一つの時代の形を定着させようとする試みでした。あるいは、情報という繊維を解きほぐし、歴史や文学という「撚り」を通して水中で互いにからみ合わせ、手漉きで現代の和紙を作り出す作業のようなものだと言えるでしょうか。毎回の手紙に文学作品の表題をお借りしたのも、そのためでした。

あ~、そうかもしれないと納得する。全体に漂っている、言葉には言い表せない何かに気持ちよく包まれながら。何度も、何度もページをめくり返しながら読んでいる。読了まではもう少しかかりそう。

「イングリッシュ・ペーシェント」(1996年・米・マイケル・オンダーチェ監督)・・・・私も好きだった映画。今、またこの本の中で出会って、再理解を深めている。

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あたしンち

Atashinchi0_800 これは読んだ人だけしかわからないかもしれないが、けらえいこの「あたしンち」は何度読み返しても同じところでツボにはまって爆笑してしまう。友達から薦められて借りて読んだら見事に・・・・。本を貸してくれた友達と会うと「アタシはこのネタがツボだった」を披露しあって、本が手元になくても、また爆笑して盛り上がれるという、もしかして「あたしンち」はすごい本かもしれない。絵ヅラの妙な可笑しさもたまらないが、立花家の一つ一つのエピソードが誇張されてはいても、なぜだか「こんなことってあるよね~」という連帯感?に包まれている。そして自分を投影する対象が娘のみかんだったり、立花父母だったり、弟のユズヒコだったり、いろいろ変化するのも面白い。

ちなみにアタシのツボねたはいっぱいあるんだけど、その中から「母の昔話」・・・・

高校生のみかんが自分の部屋でひとり寝ころびながら、子供のころを思い出している。

Thumb_haha母はこの世で一番ヘビが大嫌い。田舎の(九州出身)あぜ道で突然「アオダイショウ」に出くわしたときに、驚きのあまり3m吹っ飛んだという・・・・。

立花母「それくらいヘビが嫌いだったのよ」

立花母「いざとなれば母さんは3m吹っ飛ぶことができるのよ」

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いつもそれらしい結論付けで終わるそんな話を何回も聞かされたので、子どもだったみかんは何となく信じ込まされていた。

今、思うと・・・・何なんじゃ!ウソばっかじゃん!!と枕をブン投げてひとり八つ当たりするみかん。

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もうひとつ母の昔話。昔、女子高生のころ田舎で(九州出身)近所のガキからアメリカ人に間違われたことがあるという話。

立花母「まったくとんでもない誤解だわ~」
みかん「ほんとにね、どうして間違えたんだろうね~?」
立花母「ほら、今はそうでもないけれど、昔はマツゲが長くて目がパッチリだったからじゃない?」
みかん「ふ~ん・・・・」

Thumb_mikan_4よく考えたら・・・・なんじゃ!その話はっっ!!信じたアタシはアホ?!と枕をブン投げてひとり八つ当たりするみかん。

恐るべし!母のホラ話・・・・(爆笑)

でもって、母と娘はいつも戦っている(笑)。

ヒマな人は読んでみて~!ちなみに読売新聞日曜版に隔週連載中。

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七瀬ふたたび

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七瀬ふたたび(筒井康隆・原作)がNHKの秋の連続ドラマでリバイバルされます。 目ざとい筒井ファン・・・・というよりも「火田七瀬」ファンはもうすでにあちらこちらの方がブログに書いていらっしゃいますね。

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私は中高時代は筒井氏以外でも眉村卓や星新一などのSF小説にかぶれていました。中でも超能力者の苦悩や葛藤などを切なく訴えてくるようなこの「七瀬ふたたび」にはガシと心を鷲掴みされたものです。その後にこの三部作の残りの作品も読了しています。

誰にも備わっている訳ではない特異な能力に苦しみのたうつ主人公の心理にスポットを当てたもので他に思い出すのは、漫画では吉田秋生の「YASHA(夜叉)」、これも好きな作品です。

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おしらさま~絹の道筋をたどって

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タイトルの「おしらさま」とは私のふるさとでは蚕を守る神様と言われている。養蚕を生業とする家では守り神として篤く信仰を集める神様である。蚕は桑の葉を食べた後、口から柔らかく透き通る美しい糸を吐いて繭を作るとその中で羽化を静かに待つ。古来、その繭の命を頂いて絹糸を作り、身にまとう美しい衣を織り続けてきた女たちにとって「おしらさま」は女性そのものを守る神様でもあったらしい。農閑期、普段は神棚の奥にいる家々のおしらさまを明るい居間に出しお供えをして、近隣の女性たちが宴を楽しむ「おしら遊ばせ」という行事があるそうだ。過酷な農作業の合間、さらに絹に携わる女性をひととき解放させる年中行事である。

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絹の文化を伝えたのは中国から渡ってきた秦氏一族であり、西陣の地を揺籃として、日本全国に散ってゆき、養蚕や製糸、染色、そして織物の技術を含む絹文化が各地方に花開くことになる。これらの源はすべて中国の蘇州であり、この春の旅行で訪れた際に私の目に触れたものがなぜか皆懐かしく感じたのはそのせいであるかもしれない。

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今、人間国宝の志村ふくみさんの著書を一通り読んでいる最中で、志村さんと感性を一にするなど大変おこがましいとは重々承知ではあるが、この方の著書は私の眠っていたある部分を大いに刺激して止まない。中国からペルシャへの絹の道筋を彼女は「たまゆらの道」と表現している。たまゆら、とは光と光が煌めき交差するさま・・・・。

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蘇州で作られるペルシャ絨毯の華やかな模様を思い出す。古代から流入する異文化を丸ごと抱きこみ、その地に生かす中国の懐の深さに感嘆したものだ。息子が言うには、海のシルクロードの起点ともなった杭州や福建にはイスラムの古いモスクがあり、イスラム系民族が住みついて長いらしい。春の旅では蘇州をめぐるのが精一杯だったが、また出かける機会があったら、今度はそのあたりを訪問したいと考えている。

それにしても、志村さんの生きざまはやはり凡人には計り知れない起伏に富んだものである。芝木好子さんのエッセイを読んでいるうちに、小倉遊亀さん、志村ふくみさんという二人の芸術家にふたたび出会えたことは私にとっての一期一会だった。

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再読「馬渕川」

再読、とは言ってみたものの、1980年代初めの直木賞受賞作の渡辺喜恵子著・馬渕川(毎日新聞社刊)という小説は実は読んだ記憶が定かではありませんでした。江戸時代末期から大正時代までの岩手北部の町のとある商家に嫁いだ武家の娘さと子、その娘敏子、孫娘の浜子までの女性3代の生きざまを描いたものです。もしかしたら読んでいたのかな?と記憶の糸を手繰るようにページをめくりました。読んでいれば印象に残るフレーズの一つや二つ、古い記憶の中から掘り起こすことができるはずなのに、それがない、なのにこの強烈なデジャブの正体は一体何?不思議な感覚とともに読み終えました。


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この作品の舞台、岩手県北部の福岡(現・二戸市)という町。私は県中部の北上川が南流する山あいの盆地で育ちましたが、馬渕川が北流する景勝地である馬仙峡を訪れた時、その風光の変化に体内の感覚が逆流するような錯覚を感じたのを覚えています。その感覚の正体は、川というものは北から南に流れているものだという幼いころからの固定観念によるもので大人になった今となれば、方向音痴の一種と笑えるものです。(脱線)

馬渕川の小説の話に戻します。
作品中の小見出しをすこし紹介すると
御用金二千両
南部片富士
鹿角路
酒造り
南部紫
待乳山
川唄
秋の蝶
などなど・・・・

小説はさと子の死と同じころ起きた関東大震災の隅田川の描写で終わります。決してたおやかでもなく優しくもないむしろ烈々たる精神を感じさせる南部女の心性というものを見たような気がします。そして巡り合わせというものも強く感じた作品でした。


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母なる色 志村ふくみ

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このところ、寸暇を惜しんでは読み込んでいた志村ふくみさん(紬織の人間国宝)のエッセイです。志村さんの織った紬はテレビの芸術番組などで見たことがありましたが、文筆の才も「一色一生」というエッセイで大佛次郎賞を受賞したほど非凡な方です。齢七十を越えられた頃にお書きになったこのエッセイ、端麗な瑞々しい筆致で、日々見落としがちなものでさえも美の高みへと誘うような文章にぐいぐい引き込まれます。

多くの言葉が私の胸を打ちましたが、中でも志村さんが最も好きだというヘレナ・シェルフベックという女流画家の生涯を通して描き続けた自画像について語る一節は、女性美とは何か、教示に満ちあふれたものです。

私はヘレナ・シェルフベックが好きだ。私が語らず、意識せず、胸の中でずっと求めていたのはこういう人なのだ。こういう女性なのだ。ようやく50代になって若い日の触れれば傷つきそうな敏感な美意識も落ち着いて人生の中で一番まっとうな充実した時代。 (中略) それにしても地味な人だ。飾らずいつも真摯な、それでいておさえてもおさえてもにじみ出てくるような女の情感をやさしく母や子どもたちに注ぐ。多くを語らない人だったろうが絵の中では雄弁だ。 (中略) 近頃の50代の女性はまだまだ若く盛んなものだ。ヘレナのような女性は珍しいかもしれない。しかし私は年齢より若く見えるのを必ずしもよいと思わない。ヘレナのように何かを背負っている、胸がきしむほど人生の哀感を味わっている人が、年齢より老いて見えるのは当然だ。それが実は美しいということだ。通常の美しさとは違うかもしれないが、こういう顔を私は美しいと思う。彼女の周囲の人は理解してくれたろうか。肉親や身近な者はえてして日常性にまぎれて、本質を見抜くことが難しい。(抜粋引用)

志村さんがそこまでに愛着を感じるヘレナの自画像は、自分の老いさらばえてゆくさまを冷徹なほど客観視し描ききって印象的でした。人は、特に女性は(私など特に)、自らを美しく描きたい本能が強く、ありのままの自分を見つめる苦しみから逃れようとします。ヘレナは絵を描くことでそんな自分と闘っていたのではないか・・・・。志村さんの審美眼の確かさの根底には人生への優しい目が光っています。そう思う私は年齢相応の貌を身につけているのでしょうか?

今、志村さんの作品を見ることができるのは琵琶湖のほとりの美術館。「源氏物語千年紀」・・・・紫式部が源氏物語を書いてから千年の月日を経た今年、志村さんが物語をイメージし、糸を草木で染めるところから始まり、機を織り、一本の美しい反物に表現した作品が今、湖国・滋賀県立美術館で展覧会が開かれています。

リンクはこちらから。

http://www.shiga-kinbi.jp/exhibition/exhibition_database/pressrelease/shimura_genji.html

そういえば滋賀県出身の女性芸術家では志村さんのほかにもう一人、画家の小倉遊亀さんもいらっしゃったのを思い出しました。滋賀県立美術館、いつか行ってみたいものです。

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堀田善衛「上海にて」を読む

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誰が買ってきたのだかわからない本が雑然としていまして、こんな感じで「ツン読」状態です。気が向いたときにごそごそ本の山を崩して漁っています(笑)。

図書館で借りて読んだ辻邦生の「西行花伝」は、著者の流麗な語りでとても魅力的な男性としての西行を発見することができました。漂泊、隠遁の歌人と言えば、吉田兼好や鴨長明、松尾芭蕉など数多の名が浮かびますが、西行の場合、どんなに忍んでも艶(いろ)がにじみ出てくる、そんな男性像を感じます。西行からの連想で「西行物語」(桑原博史・訳)や「世阿弥の能」(堂本正樹・著)なども読みかけですがあと少しで読了。

読書の時間がたっぷりありすぎても、今まで通勤時間や、休憩時間、寝入りばなの短時間に斜め読みするクセのついている私は、一冊にどっぷりと浸かってしまえない性質です。併行して読み始めたのが、堀田善衛さんの「上海にて」。これは読み応えがあり、一気に読んでしまいました。青年期、終戦前後を中国国民党員として上海で過ごした著者の、「国際理解の真義」「異民族交渉」についての冷徹、鋭敏な視線が光っています。彼自身は優しく無器用なほどの正直な青年で、だからこそ淡々とした筆致ながらも、人間のどうしようもない醜さや血生臭い歴史背景が痛ましいほどに伝わってきます。

痛切な思いで聞いたという8月15日の天皇の「終戦勅語」について彼はこう記しています。

あの時天皇はなんと挨拶をしたか。負けたとも降伏したとも言わぬというのもそもそも不審であったが、これらの協力者(注、戦時日本に協力したため粛清に遭った漢汗などと呼ばれた人々)に対して、遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス、という、この嫌味な二重否定、それきりであった。・・・・(中略)・・・・私は聞き終わって、これでは日本人が可哀想だ、というふうに思った。なぜ可哀想か。天皇のこんなふうな代表挨拶では、協力をしてくれた中国人その他の諸国の人々に対して、たとえそれがどんな人物であれ、またどんな動機目的で日本側に近づいてきたものにせよ、日本人の(終戦を宣する)代表挨拶がこれでは相対することさえできやしないではないか・・・・。それはともあれ、国家、政治というもののエゴイズムをいやというほど見せつけられた。

少々引用が長くなってしまいましたが、私が今まで何となくぼんやり感じていたことをきちんと文字に表現してくださったようで、心の中でうなずきながら読み終えました。まだ中国との国交さえも回復していない頃に書かれた文章ですが、考え方はぜんぜん古くなくむしろ今読まれてよい本だと思いました。

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ご心配をおかけしましたが、日に日に回復し経過は順調です。

3月のスケジュールは公私ともにたて込んでいますので、日記を書くのも滞るかもしれません。

どなた様もお忙しい時節柄、お体ご自愛くださいませ!

きょうの日記が記念すべき700本目になりましたshine

3年以上書き続けても日数は2年分にも満たないのですが、三日坊主で不定期でもここまで書き続けたのだから、自分のことをホメてあげましょうhappy01

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西行花伝 辻邦生

願わくは 花のもとにて 春死なむ

その如月の 望月の頃

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昨晩は「おぼろ月夜」でお月様の形はぼんやり。この数日、夜空には丸い月、東京湾上にも大きく浮かんだ月を見て、西行法師の歌をふと思い出しました。北面武士としての勇名を捨て、諸国を行脚し粗末な庵を建てて仏道に生きる道を選んだ西行(佐藤義清)を世捨て人と人は呼ぶかもしれません。しかし同時代に生きた武士や後世の武士たちの心象にどれほど深く影響を与えたのか、そんな西行の生き様がうかがえるのが、辻邦生の「西行花伝」。今また読み始めています。

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西行法師の倣いには遥かに及びませんが、「山里にひっそりとむすんだ草庵」というイメージでひとり静かに過ごす時間と場所をWEBLOG上に作ったのが3年前の今頃でした。その前後、両親が相次いで病に伏したのですが、故郷との間をせわしく往来する日々の中で、何かを捨てたり、あきらめたりすることもできずにいるうちに、空虚で無感動になってゆく自分をどうにもできずにいました。家族はしっかりバックアップしてくれているのに、あの頃の私の心もとなさと言ったら・・・・。

その後、母は回復し命を永らえ、一方で父は桜も散った晩春にこの世を去りました。大切なものとの離別、それによって受ける深い喪失感を、ここに淡々と書き付けることで何とか乗り越えてこられたのではと自分なりにふり返っています。そして私があたためてきたような思いと符合するような方のブログにたどり着いては感銘を受け、心のつながりを感じてうれしくなったりします。そのような心の出会いを大切に、これからも私なりに節度をわきまえ、細々でも書き続ける事を今ここで自分に約束します。

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上野動物園内にある閑々亭の紅梅と白梅です。動物園は子どもも大きくなりましたし出かけることもなくなりましたが、なかなか楽しい気分になる場所です。

動物たちの写真、後々ゆっくり載せてゆきます。

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群ようこさんと清水ちなみさん

昨日、美容院でカットする間に何か文庫本でも読もうと思い、ウチの本棚をゴソゴソ漁って選んだのが、群ようこさんの「びんぼう草」。格好悪くてヘッポコで地味でいつも下ばかり見て生きてるような若い女の子の物語。群さんの書くものは感情移入がし易くて好き、ふたたび昼休みや通勤時間の供に読み直しています。向上心の無さ、上昇志向の無さが、何とも言えないくらい気分に合ってた時期がありました。

そして昨日一緒に見つけたのが清水ちなみさんの本。群さんとセットで、清水ちなみさんの本も何冊も読みました。「大失恋」「にんじんだもの」「じいちゃんの伝説」・・・・数え切れないくらい。電車の中や昼休みの社食では絶対に読めない本、面白すぎて吹き出してしまうから。夜などふとんの中で寝入りばなに、身をよじりながら、笑いをこらえながら読んだものです。

41ymm7c0n2l__ss500_そんな中で娘が高校生だった頃、「これ、絶対読んでおきなさい」と渡したのが、清水ちなみさんの「史上最低元カレコンテスト」。中学生から初老中年までの女性の目くるめく・・・・じゃなくて、相当へたれな恋バナ(でも最高に面白い!!)がずらり。母親が娘にこんな(!)本を薦めるなんて私ぐらいだろうと思います。

「男の子は白馬の王子様なんかじゃないのよ」

ワッハッハ、夢をぶち壊したかもしれないけれど、現実的な恋愛指南の本としてかなり効いたかもしれません。恋愛関係においては男女半々、主体性を失わないように、という母親の思いは伝わっていたかな~?

昨日、夜中に突然キッチンで生チョコ作っていた娘の姿を見てふと思うことがあり書き綴りました。

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白石一文さんについて

31bb3aeypml__aa240_デビュー作から連続して読んでいるのでたぶんファンのうちに入るかな?と・・・・。

2006年刊の「もしもあなたが私だったら」まで一通り読んでしばらく経ちますが、その後3作くらい発表しているようです。まだ大きな賞には恵まれていないし、これからの方だと思います。

短編集「不自由な心」の中の「水の年輪」は佳い作品でした。これにに出てくる三枝という男性が強く印象に残っているのは、父が胃癌を発症したころと重なったからかもしれません。そして白石さんの小説では珍しい主人公が女性の「私という運命について」は中越地震がモチーフになっている作品。

どの作品もしんと心が静まり返るような読後感です。たぶんこの方の持ち味で、今のままでも十分私は好きですが、あともうひと息で化けられるのではないかと期待感・・・・。

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Mariah Carey~Without Youを聴きながら

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図書館で一風変わったガイドブック見つけたので読んでみたら、面白いんだな~、これが。

こんな旅行記をまとめるのも旅が終わった後の楽しみになるのでしょう。

女子のバックパッカー入門の書としても親切丁寧、杉浦さやかさんの「上海を歩こう」は可愛いイラストで楽しめます。こんな感じで軽々と旅を楽しみたくなりました。

各々スケジュールをすり合わせた結果、当初の2月の予定が3月に変更になりました。すこしは暖かくなっているでしょう。

Mariah Carey_Without Youを聴きながら(音鳴ります、注意!!!).Can't live if・・・・のサビのところを一緒にうなってみたりする私。

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Etoile Fleur Feu ~星花火~

021あの人を 鳥引く群れが 連れて行く

038a雪の芽をつけて 春待つ 梅の里

海童と号したのは今は亡き女優、夏目雅子さん。日本の女優で誰が好き?と訊かれたら、彼女を入れるのは絶対忘れないと思います。

生前、どれだけの俳句をよんだかは知りませんが、私の手元にある新潮社刊「星花火」は、何十首かの俳句と夏目さんのポートレートで綴られた本です。

間断の 音なき空に 星花火

冴々とした冬の夜空を眺めているとこの「星花火」という言葉を何となく思い出します。

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彼女はFM東京(当時の社名)で音楽番組のパーソナリティをつとめていたこともありました。確かP・P&Mやボブ・ディランが好きだって言っていたのを覚えています。主演映画ではやっぱり「時代屋の女房」を一番に推します。本当に綺麗な女性(ひと)でした。

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おひとり様の老後

今日もよろよろ一人で買い物に来たおばあさんをタクシー乗り場の前まで付き添ってお見送りをしました。このおばあさんは高齢でしかも人工透析を定期的に受けている病人、顔色も悪く今にも倒れそうな足取りで週に2~3回は買い物にやってきます。私たちの介添えがないとエスカレーターの昇り降りさえおぼつかないようなご老人が、ここ何年かの間で付き添いもなくたった一人でお買い物に来る姿が非常に目に付くようになってきました。

以前、認知症100万人キャラバンやノーマライゼーションについて日記に書いたことがあります。社会全体が幼児や老人や病人に対して温かく接するということはとてもよい事だと思います。しかし一方では「向こう三軒両隣」といった狭い範囲での温かな交流が激減してきているという現実を数多く目にします。

昔のように近所のおじさん、おばさんが茶飲みがてらに立ち寄り、ついでの用事は何かないかといった御機嫌伺い、幼児を連れてゆくには憚られるようなとき、ちょっとだけ子どもを預かってくれるご近所など、都会だけでなく地方でも姿を消してゆく運命にあるようです。

先に述べた認知症キャラバンにしてもノーマライゼーションにしても多くの場合、その担い手となるのは公共サービスや銀行・小売業など最前線でお客様に接する人々なのです。そこで現在どんな事が起きているかというと、かなりおかしな困った状況になってきていて、密かに悩んだり腹を立てたりしている人が多いと思います。「企業CSR精神」という建前と現場の私たちの「本心」との隔たりは大きく、それでも同じように子育てをしたわが身、いずれ老いゆくわが身と気を取り直してみたりしています。

「おひとり様の老後」(上野千鶴子・著)という本があるそうです。まだ読んではいませんが、今年読みたい本のなかの一冊です。周囲に迷惑をかけず、自立した老人として人生をまっとうしたいと誰しも思うこと。しかしどんなに足掻いても否応なく精神にも肉体にも老いの翳りは遅かれ早かれどんな人にもやって来るでしょう。

夫や友人達とよく話すのですが、私たちくらいの年代は物質的豊かさに慣らされて、長年の食生活で身体には多くの有害物質が沈殿しているし、利己的で刹那に溺れやすい気質にも深く侵食されている世代です。たぶん初老期の罹病率も高くなってきっと長生きできないし、認知症などが早期に出やすいかもしれない、周囲に迷惑をかけてはばからない暴走老人になってしまう確率が大きいなどと、ちょっと怖くなるような話なんだけど、なぜだか現実味があります。無責任な雑談の中で語られる話ではありますが・・・・。

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660万難民の壮絶な引揚

昨日の夜、NHKで放映されたその時歴史が動いた.「戦後引き揚げ 660万人故郷への道」を視聴した感想を昨日の日記に書こうと思っていました。引揚の歴史はまったく知らないことではなかったのですが、番組終盤で厚生省博多引揚援護局二日市保健所の生々しい実態に衝撃を受け、その夜は日記に書くよりも、まず頭の中を整理するために、ゆっくりと布団の中で様々な思いを巡らせていたら、目が冴え々々となり、眠れない夜を過ごしました。忘れかけていた記憶にもう一度くさびを打たれたような気がします。

当時の内閣(陸軍)が満州という他人の土地に勝手に理想国創出を企図し、満州開拓に一般民衆を巻き込んでいった経緯と、終戦直後に始まった彼ら開拓民の故国へ帰るための想像を絶する苦難。シベリア軍の国際法違反ではないかと思われる、満州への南下により壮年男性の多くがシベリア抑留となってしまったり、これらを含めて、終戦時に海外(主に北東アジア)にいた日本人の引揚が終了したのは、東京オリンピックが行われる3年前の昭和36年6月だったそうです。衝撃を感じます。

私の母は終戦時に上海近郊に居住しておりました。当時、華中鉄道職員だった祖父と祖母、母を含む三人姉妹の5人家族で社宅住まいだったそうです。テラスハウスのようなモダンな社宅で囲まれた広場には、当時上海にいたヨーロッパ各国の人々も出入りをし、広場に遊びに行くと彼らも一緒に無邪気にボール投げなどに興じるという、戦時中とは思えない長閑な雰囲気があったそうです。母の子ども時代は、彼の地では良き思い出に飾られているようです。

華中鉄道というのは当時上海~南京を結ぶ鉄路で、歴史上では南満州鉄道の影に隠れていますが、同じ国策企業と言っても、侵略に等しい開発を強引に推し進めた満鉄とは少々性格が違うようです。母達は幸運だったと思います。なぜなら、上海という沿岸部の都市に居住していたため、比較的早くに引揚が進み、家族全員一緒に無事に帰国できました。それでも引揚船に乗る時までの不安は今でも時々口にします。しっかり港に接岸できないために小さなボートと引揚船に渡しかけた細い橋を海に滑り落ちそうな恐怖と闘いながら乗船したりしたそうです。無事に帰ってきたからこそ今の私がいるのだと思うと感慨深いものがあります。

510np9rp2vl__ss500_対照的に北東満州など内陸部に移住していた日本人の苦労はあまりにも悲惨でした。

母の引揚体験を興味深く聞くようになったころ、私はこの本に出会いました。新田次郎氏夫人の藤原ていさん著作の「流れる星は生きている」です。気象庁職員として満州に赴任した夫・三人の子どもたちとの生活が暗転、シベリヤに抑留された夫と離れ、女手一つで子どもを抱えて日本に帰るまでの苦難の道のりが描かれています。「母の愛」「生への執着」「困難に真正面から向き合う強さ」などなど、いろいろな事を考えさせられました。

歴史上稀なわが国の国民の難民体験を、事実に基づき情緒を廃した冷静かつ強靭な精神力を感じさせる筆致で書かれているのが、むしろ藤原ていさんの戦争に対する激しい怒りを訴えかけているようでした。余談となりますが彼女は引揚の際に苦難をともにした知人、友人の相次ぐ悲報に悲観し、遺書としてこの本を残そうとしたそうです。平和を願う人、人種を問わず、多くの国々の人々に読んでもらいたいと思います。

一昨年、「国家の品格」を書いてベストセラーになった数学者の藤原正彦氏は新田次郎・藤原てい夫妻のご子息であるのは知られすぎるほど知られていることですね。

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国際子ども図書館で「世界にポーレただひとり」を探す

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ひと月以上も前に、上野の森の国際子どもの図書館に行ってきました。近所にも児童書の蔵書が充実している区立図書館がありますが、私がどうしても読みたい本が見つからず、ここなら!と思い、探しに行きました。

この建物は旧帝国図書館として、明治政府が国家の威信をかけた大事業として建設に着手したものだそうで、国立国会図書館上野分館として運営されていたものが、4年ほど前に児童書専門の子ども図書館として生まれ変わりました。

私の探している本は「世界にポーレただひとり」、作者は忘れたのですが、確かドイツの作品でした。ポーレというちょっと我儘な男の子が主人公。ある朝目覚めたら町の中にはポーレしかいなくて、好き勝手なことをしても誰にも叱られないので初めは王子様気分だったのが、孤独感がじわじわと押し寄せてくる物語で最後は・・・・・(笑)。

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この童話、何度も繰り返して読んだので覚えていて、どうして私はあんなにこの物語が好きだったんだろうと思い、読み直してみたいのですが見つかりません。

結局子ども図書館にもありませんでした。

ネットで検索してもあがって来ない「世界にポーレただ一人」・・・・あれだけ読んだ記憶があるのにどうして見つからないんでしょう。ちょっとガッカリ・・・・。

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他にも私の子供の頃読んだ本で印象の強いものは、ファーブル昆虫記・ドリトル先生航海記・シートン動物記や北極のムーシカ・ミーシカなど。これらは今でもよく読まれているようで、見つけるのも容易なのですが・・・・。

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松浦武四郎とは?

息子の荷物はほとんどが京都から送ってきた状態でダンボールに入っています。必要なものはあちらを引き払う時点で、荷物を分けて直接中国へと送りましたので、今わが家にあるものは、特に必要ではないけれど、何となく捨てられなかったというものばかりです。入学時に一緒にそろえた食器・調理器具、そして家具なども梱包されたまま、主と離れてひっそり・・・・。

時々、何かが必要だと言われたら、ごそごそ中を開けて目当てのものを探して送ってあげています。そんなときに親元を離れていた4年間の生活がしのばれるものなどがヒョッコリと顔を出したりして、しばしその世界に入り込む私なのでした。銀行口座の通帳やお役所関係の書類などうっかり捨てられないものがビニールファイルにきっちりとしまわれていて、見るともなしにページをめくっていたら不覚にも・・・・。通帳のお金の細かい出し入れに、彼なりのやりくりの跡が見えたりしたのです。在学中は「仕送りが・・・・授業料が・・・・タイヘ~ン」などと冗談まじりに知人にしゃべったりしていた私ですが、その頃は意識していなかったのに今になってそんな息子のやりくり生活に気付いたりしています。いつも過ぎてから思うことですが、自分で大変、大変!と思っている頃が往々にして充実していた時だったりするのですね。乳幼児期の子育て時代もそんな感じだったでしょうか。

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先日は「卒業論文梗概集」を見つけて、つい読みふけってしまいました。文化史学専攻だった息子は卒論のテーマに江戸末期の幕府~明治新政府の役人であり、紀行家でもあった「松浦武四郎」を取り上げていたのですが、恥ずかしながら私の知らない人物でした。伊勢は松阪藩の生まれで北海道という地名の名付け親であり、「近世蝦夷人物誌」を著したとあれば、実は日本の歴史上、重要な人物と言えるのでしょう。この梗概集には息子と同じ学科で学んだ友人達全員の力作も載せられていて興味深く、そそくさと学生時代を終え社会に出た自分を振り返り、正直言って彼らを羨ましく感じたりしています。

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こんな本も読んでいます。息子は夏休みの帰省のたびに富士登山に出かけていました。

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九月最終週

季節の変わり目のせいか、体調も気分もすぐれず、つまらない理由で振替出勤になり、楽しみにしていた休みがつぶれてしまったりの踏んだり蹴ったりの一週間でした。やる気Nothing、テンション下げまくりな中で、月次予算の配賦など思い切り滑らせてやろうかとムクムクと不埒なことばかり考えていたので、うっかり変なオーラが出ないように(笑)、自己抑制する毎日でした(疲)。

来週はゆっくり休みます。「休」なんてステキな漢字、この世の中で最も大好きな文字。

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父が病床で読んでいた三冊の本の中の一冊、玄侑宗久著「禅的生活」、どうしても、手が伸びる本です、こんな時は。何回繰り返し読んだでしょう。

愛用のブックカバーは、コンサイス社製。新書版をひとつ、文庫本サイズをふたつ。

皮革製のブックカバーをかけて読書する理由は、私の場合、本の汚れを防ぐこと、読んでいる本があからさまに他人にわかってしまうのが嫌なのと、カバーすることによりホールディングが安定し、読書に集中できるからです。大好きな「のだめカンタービレ」も新書版サイズをかけて読んでいました~♪

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台風が来ている・・・

風雨が強いです。普通の雨ではベランダに吹き込む雨も大したことはないのですが、さっき見たらもうビショビショでした。夫も娘も早々と帰宅し、明日の朝の交通機関が気になるのか夕方からニュースをつけっぱなしです。何気なく私が「傘がキノコ・・・・」って言ったら、「傘が‘おちょこ’っていうんでしょう」と突っ込まれました。結構、言葉の使い方間違えてるみたいです、私・・・・。

ウチと取引のある某酒メーカーの現在の担当社員は長身でいかにもスポーツマンタイプのガッシリした体格。缶ビールのケースもひょいひょい、ウチのリカー担当といっしょにテキパキと売場を作っています。バックルームで作業していたので、ちょっと雑談したりして。

「H君、ここ、入り口のところ、普通に通ろうとすると頭ガツンでしょう・・・・。」と声かけたら、入り口のてっぺんの下がり壁にオデコをつけようとする、カワイ~、素直~~~(笑)。身長を聞いたら187cmですって。ウチの息子も181cmで小さくはないが、H君はやはり一際目を引く長身であります。息子と年齢も近く、何だか親近感を感じてしまいます。

社会人ラグビーの現役選手(WTB)でもあるHクンの仕事ぶりを見ていると、競技場で見せる激しく闘志溢れるプレー姿とは別で、目の前にいる彼は普通の誠実で謙虚な担当社員、当たり前ですが。

新日鉄ラグビーとか、トヨタラグビーだとか往年の社会人ラグビーの熱狂時代は遥か昔のものになりましたけど、社会人スポーツ独特の良さはなくさないで欲しいです(何でもプロスポーツ化される流れには?)。

風屋さんからのご厚意で頂きました「厳選食材図鑑岩手」、夫婦ともにその業界に縁が深い私たちにとっても、興味深くまた勉強になるもので、わが家の愛蔵本になりそうです。改めて御礼申し上げます。

このご本に麻布の割烹「分とく山」総料理長の野崎洋光さんの記事がありましてうれしくなり、またこの方の本が読みたくなりました。

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「素材の味を食べる」 分とく山 野崎洋光

名割烹の料理長ながら、野崎氏が今までお書きになられた料理本は、よくあるプロの料理人の見てくれは美しいけれどとっつきにくい料理本とは違います。福島の農村に生まれ育った彼の子供の頃の食生活というものが、どれだけ料理人としての彼の大部分を形成しているかうなづけます。私が子供の頃の記憶の食卓ともかなりリンクするところがあってずっとこの方のファンでした。料理は毎日三度三度のこと、面倒だと思う気持ちは私も同じ。でも野崎氏はムダに手をかける現代の家庭料理の概念を打ち破ってくれて、料理に悩む主婦の救世主とまで私は思っています。

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フローラ逍遥 澁澤龍彦

二十年前の八月、ひとりの作家が亡くなりました。「異端児」とか「快楽主義者」などと呼ばれ肌が白く彫りが深い顔にいつも黒いサングラスをかけ、どこか人を寄せ付けない雰囲気を漂わせていた人、澁澤龍彦です。

若かりし頃に澁澤作品を読むという事は少なからず変わり者というレッテルを甘んじて受けざるを得ない空気が周囲にあったように思います。しかし今にして若い時だからこそ、この人の作品に接していてよかったと本心からそう思うのです。この年齢になってまた彼の作品群を読み返すと、あの頃まったく読み込むことが出来なかったものが一層、透明度を増して眼前に現れるような感慨を覚えます。

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「フローラ逍遥」は元は「弄筆百花苑」という題名で、澁澤が亡くなる前の二~三年ほど雑誌「太陽」に連載していたものを改題し単行本化したものです。

彼の随筆に添えられた植物画、これは八坂安守さんという植物愛好家の方が収集した貴重なもので、ほんのりと艶めかしい色合いが印象的です。

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でめたし、でめたし

あまりに少なすぎて笑うしかない私のボーナスの額なので、振込み日を待ちわびるなんてこともなく、あまっさえ、もうとっくに降ろしていたような錯覚を起してしまい、夏の買い物はキッツイな~と一人勝手に思い込んでいました。なので銀行に行ったら残高があるんでビックラです。明細をデスクの中に置き忘れていたせいもあるけれど、あ~、ボーナスだったとようやく気付きました。でも雀の涙、焼け石に水ですね~。出るだけでもありがたい事ですが・・・・。

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息子は小さい頃から絵本が大好きで特に寝入りばなの読み聞かせを好んでいました。気に入った絵本の気に入ったところは何度も何度も読んで欲しがり、読み終えて最後に私がめでたしめでたしで結ぶと、真似して言っていたのが「でめたし、でめたし」。ウケ狙いでなくて、舌っ足らずでうまくいえなかったのです。2~3歳の頃でしたが、好きな物語を暗記してしゃべる姿に「この子は神童かしら?!」と親バカの錯覚を起しかけたこともあるくらいでした(笑)。

072324782x_09__scmzzzzzzz__3町のネズミといなかのネズミ  ベアトリクス・ポター原作

言わずと知れたピーターラビットの物語の中の一編、イギリス湖水地方の自然と動物たちの、どこか人間臭さを感じさせる生活を描いて世界中の人々に愛されています。息子はこの中の「町のネズミといなかのネズミ」が大好きでした。ティミーとジョニーだったかしら。ドジなティミーがうっかり都会行きの郵便馬車に紛れ込んでしまい、都会のネズミのジョニーと出会い、ジョニーが田舎に行くという話。結局住み慣れた場所が一番とお互いの元のねぐらに帰るまでのひと時の冒険ストーリー・・・・だったような気がします。

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猛暑の予感

梅雨入りかと思えば、今日の暑さは何?散歩の楽しみはしばらくお預けになりそうです。ひたすら音楽と読書の休日。

電話でおばから秩父の山奥へおいで~の誘い。ありがとうね~、でも、山だからって油断すると以外に暑いのよ、あそこって。真夏に飯能川で遊んだ時は、子どもより先に川に飛び込みたくなりました。

就職活動に忙しい娘はアルバイトが出来ず、金欠病の真っ只中。毎日弁当持参でお小遣いを浮かせています。そして自己管理という不似合な言葉をしきりに口にしています。は~、娘の口から聞くとはね~。金銭感覚というのは、社会に出る前にできれば身につけてもらいたかったから、喜ぶべきなのかな~。ないなら、ないなりにやりくりする、しっかり・ちゃっかり娘になりそうです。

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白幡洋三郎「プラントハンター」

植物に熱狂してきた人類史と、

いつの時代も稀少品種を求めてやまない

人間の業について書いている本です。

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「しゃべれども しゃべれども」

昨日、朝のうちに出かけた銀座はまだ人並みも少なく、ゆっくり歩けました。映画を見るまで時間がたっぷりあったので、東銀座の岩手県のアンテナショップ、銀河プラザに寄り道。歌舞伎座のはす向かいにあります。今だったら山菜類などの産地直送ものをおすすめです。さっそく根まがり竹を油揚げとひじきでさっと炒めて夕飯の一品にしました。

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映画館では、レディースデーと一日のサービスデーが重なり、なかなかの客入りでした。おまけに杏露酒とブルーベリー酒のミニパックを頂いてご機嫌です♪

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銀河プラザ内の芽吹屋で饅頭も何個か買ってきました。

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この映画は、私がよく行く場所がたっぷり映像で使われていてそれを見るのも楽しみでした。三つ葉とその祖母、春子の何気ない会話の中にしっかり落語の諧調が流れていて、爆笑ではなく、思わずクスリ笑いしてしまう生活が描かれています。八千草薫は「サトラレ」でも孫を育てる慈しみ深い祖母役でしたが、今回はしゃきしゃきした元気者の祖母を演じてくれています。大好きです。こちらもご覧下さい→「しゃべれども しゃべれども」公式サイト

何が好き、とか、誰が好きとか、素直に伝えることが出来ずに、ついひねくってしまう無器用な人々に対する温かい目線を感じました。私もそんな無器用な人間だから・・・・。

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地中海のルカ 覚書

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今週は弔事があったり、月末月初業務もかぶり日記の更新をさぼっているうちに、六月に暦が変わってしまいました。すでに予算策定などは下期に入り、課内での夏休みの調整が早くも始りました。机上のカレンダーはボチボチ休みで埋まっています。私も第一希望を取りたいのでのんびりしてられません(笑)!

予定していた映画鑑賞ですが、シネスイッチ銀座は金曜日がサービスデーで900円の料金なので仕事が休みのきょう、これから観に行ってきます♪。感想は明日以降の日記に・・・・。

今日は地中海のルカ ・ 文月 今日子 .の作品の覚書をまとめてみました。紀元前、ローマ帝国に果敢に挑んだ北アフリカの海洋国家カルタゴの戦い、ポエニ戦争は「ハンニバル戦記」などで有名ですね。ちょうどローマ史に興味を持ち始めていたころ、この漫画を読んだのですが、サイドストーリー的な作品で今でも記憶に残っています。

ちょっとローマ史のおさらいをします。カルタゴは小国ながら類稀な航海技術と商業手腕に長けた民族で、ハンニバルという名将の力も得て、その存在は帝国ローマを脅かすまでになりました。しかしポエニ戦争が第一次、第二次と続くとさすがに大国ローマの持久力には叶いません。敗北の時が来てローマ軍により住民はすべて抹殺され、都市は火をかけられたうえ、塩をまいて不毛の地にされるなど、徹底的な殲滅作戦で滅亡に追い込まれました。場所は現在のチュニジア半島の北端あたりで、純粋なカルタゴの国家遺跡というものは破壊しつくされたので幻の海洋国家とも言えます。強大国の仕打ちと言うのは時代が変わっても同じことの繰り返しで、憎悪の連鎖が果てしなく続く内は世の中から戦争がなくなることなどきっとないのでしょう。

ハイ!(笑)史実はここまでです。その後滅亡したはずのカルタゴに実は生き残りがいて、地中海最強の海賊を組織し、その頭目ルカが祖国復興を夢見てローマ軍に果敢に立ち向かうというスペクタクルなストーリーで、エンディングはボロボロ大泣きに泣けました。あまり言うとネタばれになりますからやめておきます。当時「ベルサイユのばら」がすでに宝塚歌劇の演目の花形になっていましたが、この「地中海のルカ」もベルばらに匹敵するくらい華やかなキャラクターと優れた物語性を持っています。漫画だけで終ったのが惜しいくらいハラハラドキドキ感動の物語でした。

以上、今日の日記は「下町の」ではなく、「世界史の」裏道を歩いてみました~♪

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WINGSPAN翼の王国

長距離旅客を運ぶ国内交通各社では機内誌(車内誌)のサービスを行っているところが多い。なじみのある所ではJRの新幹線のシートの背にひっそりと置かれている「トランベール」。月刊で各地の歴史・風物や郷土料理から著名人のコラムまで肩の凝らない作りで楽しめる。移動の際には文庫本が必ずお供してくれるのだが、それに飽きてきた時の気分転換にもなる読み物である。

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もう一冊私の好きなのは「翼の王国」。ご存知の通り全日空の国内外航空路線で配布されている機内誌で、その類の雑誌では日本一の定評を取るほどの質・量を誇るものである。持ち帰り自由なので基本的にタダなのであるが、大変人気のある雑誌なのだそうで有料の定期購読もできるという。

日本語が大半であるが英語・中国語の長文コラムも織り交ぜて構成されるこの雑誌は、海外便の長時間フライトでも読みこなせないくらいの良質で豊潤な内容を誇っている。

夫は出張も多く全日空を利用する時もたまにあるが、そんな時はかばんの中に必ずこのWINGSPANが入っていて私も読ませてもらっている。写真は二月号のもの。英文コラムは6本あり、その中の能登地方で代々米作を営む旧家の伝統的な年迎えをジョナサン・ロイドオウエンという方が書いたコラムが興味深く、時間の空いたときに英和辞書片手に読んでいるところである。

今までこのような車内誌・機内誌など目もくれなかった方でも一度パラパラめくって見ることをお奨めする。全部とは言わないが必ず魅かれる記事が二本か三本は見つかると思う。

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江戸切絵図貼交屏風

夜半に雨が降った模様で空気も柔らかい朝である。

隅田の川波も穏やか。

木場からやってきたのだろうか、

波をわけて材木船が上流目指して走っていく。

いつも訪れてくる静かな朝。

辻邦生の時代小説「江戸切絵図貼交屏風」を読む。

向島やら溜池山王などの風物に人々の織り成す景色が絡んで描かれる。

そろそろ春牡丹が咲く頃。

神楽坂の無量寺の黒牡丹の花でも見に行こうかと

心の中で思い浮かべながら読むのが楽しい。

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春紫苑(ハルジオン)

Haruzion

紫苑(シオン)という、どこか異国的な響きを持つ花の名前、野の草花にしては美しい名を授けられている。

野草の名前にはふざけてつけたような名前(イヌフグリ)やおどろおどろしい伝説から引いた名前(オトギリソウ)など植物の世界は名前を探るのだけでも楽しい。

この紫苑は土手などでよく見かけるのだが、かわいらしいキク科の植物である。写真ではわかりにくいが、ふさふさの花びらの辺縁部が薄紫なのがハルジオン、真っ白なのがヒメジオンである。秋に咲く紫苑は本家らしく気品のある美しさで目を引くが、春紫苑(ハルジオン)は可憐に素朴に咲く風情が好ましく思える。

紫苑物語(石川淳 講談社文藝文庫)

歌詠みの家に生まれた棟梁宗頼は父との葛藤により、名家の姫をあてがわれ遠国に放逐される。心映えも容貌も醜い姫を受け入れられない宗頼は世を捨てたように狩に没頭してゆく。宗頼に