秋めいて・・・・

涼しさを通り越して肌寒い風を感じた朝の目覚めだった。うっかりしていたら衣替えの季節。もう夏物は早くしまおう。

☆9月最後のお稽古日誌☆

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木曜日に帰国したばかりで、時差ボケの先生は、立礼席の長椅子に座ったまま・・・・(笑)。

今日は長板点前のお稽古。手桶型の水指や、煤竹を組んだ風炉先も名残のころとなり、茶席にもそろそろ温もりが欲しい季節である。

炭の火のパチッと爆ぜる音に耳が反応する。炭を取り扱っている時のなんとも言えない暖かさに気持が和んでゆく。

先生は、グランドキャニオンなど雄大な大陸風景を見て回ったそうで、ずいぶん歩かれたのか足が痛いと仰っしゃり、今日は正座をなさらなかった。私もコンディションが悪いと、痺れるのはまだ良い方で、ひどい時には足がつったりする。相当難儀だったと思う。

トマトソースで煮込んだ野菜具だくさんのスープをお稽古のあとで頂いて、ちょうどお腹がさみしい時間だったので美味しく頂いてしまう。ダイエットのために作ったけれど、作りすぎたんですって~(笑)。

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☆おみやげ☆

ちょっとオシャレなバラの小花模様のルージュ・・・・見た目クリーム色なんだけど、くちびるにのせた時に、肌の温度で色が変化するちょっとマジカルなルージュ。先生、ありがとう・・・・。

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お稽古日誌

0809130003akikusa_3 ぼんやりしていたらお月見の季節です。きょうは待宵月、そして十五夜、十六夜(いざよい)と続きます。そしてその後も立待月(たてまち-)、居待月(いまち-)、寝待月(ねまち-)、更待月(ふけまち-)····名月を長く楽しみたい、月にことほど多様な呼び名を冠する民族は日本人だけかもしれませんね。

花はいつも知らない名前の花ばかりで教えていただいています。お稽古の最後の後片付けの時に頂いて帰るので、自宅の花入れに生けてみました。まだ青い楓や尾花のほかに、藤色の花は段菊、紫のちょこんと下を向いている花はナンバンギセル、赤い花は千日紅。

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きょうのお稽古には、主菓子に可愛らしいうさぎが出ました。月うさぎ!そのほかにはみすず飴やらかりんとうやら先生が豆名月にちなんで塩ゆでしてくださった落花生やら、よりどりみどり(笑)。お稽古しにいっているのやら、お茶しながらおしゃべりしているのやら····(笑)。

来週は先生は家元のお供で渡米なさるのでお稽古なし。その分たくさん出してくださったのかしら?

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週末日記

毎日、集中豪雨、そして雷雨に見舞われる。土曜日、仕事は休みだったので家事を片づけたあと、午後からゆっくりお稽古に・・・・と思っていたが、まるでバケツをひっくり返したような雨に出足をくじかれる。ベランダから外を眺めると激しい雨足に木々が打たれて、公園の石段は滝のように雨水が流れる。隅田川はこのところの豪雨でタプタプ音が聞こえそうなくらい水面が上昇している。

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ほうほうの体で駅に着き電車に乗って先生のお宅へと向かう。しかしこの日は浅草のサンバカーニバル。駅から地上に出たら吾妻橋から国際通りに突き当たる通り(雷門通り)は演技のため横断禁止・・・・。きゃ~、先生のお家にたどりつけない~~~。しかも沿道は雨もものともせず、観客が押し合いへし合いで思うように進めずに遠回りするしかなかった・・・・ちぇっ。

☆お稽古日誌☆
雨に濡れた身の始末をしてから茶室に入る。自分の稽古に入る前に、お仲間の濃茶点前を拝見しながら茶菓を頂いた。この日の茶菓はお濃茶に「水ういろう」、お薄に「金つば」、立礼では「みたらし団子」・・・・。えぇ、お察しの通り、お菓子が楽しみで通っていますのよ、ホホ・・・。そして久々にきちんと点てた濃茶の味。気分がほぐれてゆく。

背丈のある私を「和室では「規格外」、より小さく丁寧に立ち居振る舞うことをを心がけなさい」(汗)とおっしゃる先生。しゃきしゃきした歯に衣を着せぬ言葉が心地よく、お稽古の場に堅苦しい雰囲気は無縁である。何となく、「しゃべれども、しゃべれども」の三つ葉の祖母に雰囲気が似ていて楽しい。

秋の茶会の日程が決まる。楽しみだけど、その前にきちんと一人でお点前を披露できるようにならないと・・・・。

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週末日記

☆お稽古日誌

お茶の日は仕事を早目に切り上げて勤務先の近くのお教室に歩いて通っている。普通に歩けば7~8分ほどの道のりをゆっくり歩いて頭の中を切り替えつつ・・・・。この夏の暑さがうそのような、雨模様ながら肌に秋のひんやりとした風を感じる中のお稽古だった。床の間のお花も色とりどりの小菊が生けられて秋を先取るよう。お仲間の作った風炉の灰の形を拝見したあと、さっそく点前稽古、自分の飲むお茶を二服点て、お菓子を頂く。点前をチェックしてもらいながら、お仲間にも数回点てて差し上げる。お点前の動作の大きな流れは幸いなことに体が覚えていて割合に滞りなしに運ぶのだが、細かな動き、たとえば茶筅通しの際の右手の動きがぎこちなくて見苦しいのが気にかかり何度も繰り返す。

お稽古中、開け放った窓の外から、近くの町会の子ども縁日の様子が見えた。うっかりしていたらもう晩夏、地蔵盆の時節なのである。夏休みも終わりに近い子供たちの歓声が小さな茶室にも届いてきた。

☆ディズニーランドに行く

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組合の家族企画、「ディズニーランド(シー)で一日遊ぼう」に参加。今年はランドは25周年のアニバーサリー。天気もカンカン照りの真夏日でなくてよかった。

パイレーツ・オブ・カリビアンでジョニー・デップのそっくり人形に3回も遭遇し、バカ受けして大笑い。連合い(夫)に笑い過ぎだと叱られる。ビッグサンダーマウンテンがやっぱり最高にスカッとした。すれ違うコースターに余裕で手を振ったりして・・・・(笑)。

この日のアトラクション体験率は私が90%、連合いは40%。待ち時間は持参した文庫本とipodで意外に退屈しなかったようだ。子どもを連れて出かけていた場所に二人で出かける・・・・一日だけ魔法をかけてもらって25年前の二人の姿に戻してもらいたかったな~(笑)。

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池に映るシンデレラ城。

25周年ということなので、銀婚式のご夫婦が、ディズニーランドに遊びに行くのもいいかもしれませんよ~。

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お稽古日誌

茶の湯のお稽古が始まりました。とりあえず10月の台東区秋の大茶会を目指して稽古に励むことになります。

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まだ梅雨明けが出されていないのですが、(後記・どうやら明けたようです)じっとしていても汗の噴き出すような日でした。さりげなく涼を取り入れてくださる先生の心遣いに優しく心がほぐれてゆきました。お道具立ては、雪輪透かし風炉先屏風に丸卓、朝鮮風炉耳付釜。お棗は漆中棗、茶碗はガラスの平茶碗、お薄を飲み干した後、紺青色の夜空に見立てた茶碗の内側に浮かんできたのは夏の天の川の星々のきらめき・・・・。お茶を点てるときも、味わう時も、美しさが愛でられるように・・・・。結構なお点前でございました。

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床のお軸もしっかりお勉強しないと・・・・。花は桔梗などの秋草を竹籠に無造作に投げいれた姿が野趣に富んでいます。やっぱり気持ちが落ち着きます。

江戸っ子のしゃきっとした朗らかな先生のお教室は、鉄筋コンクリートの集合住宅のワンフロアで、茶の湯になじむインテリアがマンション住まいの私にもとても参考になります。

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夏休み最初の日、夫の実家がある宮城県沿岸部で地震と津波。石巻に近い松島湾や、仙台港近く、多分、亘理の海岸だろうか、見覚えのある海の風景が映し出される。大小取り混ぜて地震の被害を何度もくぐってきた場所である。30年ほど前の宮城県沖地震の際は、家の中のあらゆるものがめちゃめちゃに散らばったそうだ。今回はそれほどでもないようで安心している。姉のいつもの穏やかな声にほっとした。

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利休百首より

手前には 弱みをすてて ただ強く されど風俗いやしきを去れ

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迷いを捨てて一心に。

決して傲慢にならず。

しかし周囲の空気にも流されず。

久々に利休百首を諳んじてみました。いつもそのときの自分の心を投影しているかのような一首に立ち止まり何度も反芻する私です。

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立秋

炎暑の日差しに煽られる中で暦の上では秋の立つ日となりました。それでも夏の花の様相は盛夏から晩夏へ。萩・桔梗・芙蓉・竜胆など清らかで涼やかな彩の花が咲き始めています。

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芙蓉の花は水揚げの大変難しい花で、切り口を叩いたり焼いたり塩でもんで深水につけるという手のかかる花です。一日花で朝咲いて夕方しぼむ花でもあり、ゆえに花屋さんで切花として売られることがありません。しかし庭木として手をかけると夏から初秋までたくさんの美しい花を咲かせてくれます。

白居易の「長恨歌」に楊貴妃の顔のごとしと歌われた花でもあります。

茶花の世界では一種のみで真・行・草、どんな生け方も出来る格の高い花です。ここでは白と淡紅の二色を塗り籠の花入れに生けてみました。やはり水揚げの加減が足りなかったようでこの花の繊細さを感じます。

来週はしばらく実家に帰ります。母が「湯っコはどごがいがべな~?」と大した用事もないのに電話をかけてきます。帰省中に温泉に行きたかったので、すでに某温泉旅館に予約はとってあると伝えていたのですが、ボケがきているのでしょうか?

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冬の夜咄(よばなし)

今、窓の外は時ならぬ冬の強い雷雨、神奈川などの山間部には洪水警報まで出ているらしい。寒い。でもお部屋はぬくぬくと暖かい。母からつき立ての「のし餅」が送られてきた。あ~、もう餅が届いてしまった。実家ではこうして暦どおりに手順をきちんと間違えずに歳迎えの仕度が進んでいる。私は、と言うとようやく年賀状の住所書きである。明日、明後日は年内最後の休みで大掃除おばさんになっているだろう。ぼ~っとして腰が重く、火がつかないと動かないんだろう、毎年のごとく・・・・(ため息)。

古い母屋で生活していた頃、冬の長い夜は、広い居間に切られた一番大きい囲炉裏のそばで眠くなるまで絵本を読んだり、祖母の夜なべ仕事の手伝いをしたり・・・・。寒々と広い居間はストーブを焚いても冷えた空気に支配されているが、囲炉裏のそばはいつも暖かかった。それは二段式の囲炉裏で床を一段下げた場所にさらに床板を張っているので、腰掛けてもいいし、小さな子どもだと下の床にコロリと寝転がる事もできた。灰の中にしらしら燃える炭火に頬を紅くほてらせた私はその場所で寝込んでしまうことが度々あり、そんな時は父に抱き上げられて布団まで連れて行かれたものである。布団は湯たんぽなどで暖められていて、寒さで目を覚ます事は滅多になかったが、足元の方は少し冷たくて一瞬夢から覚めそうになる。それでも寝つきの良い子どもだった私はすぐにまた眠りに落ちていった。父に抱き上げられる時の感触は何となくまだ覚えていて、今でも布団に入り眠りに落ちていく至福の瞬間にふと思い出す。

「夜咄」という言葉は十二月から二月までの厳寒の候に開かれる茶事より引く。夜咄の茶事は冬の夜長に亭主と客がなごやかに語り合いながら茶を楽しむものである。和ろうそくを立てた手燭や、短けい(※)と呼ばれる長い灯芯を何本か束にしたほのかな灯りのもと、火鉢で暖を取りながら体を寄せ合い静かなひと時を過ごすのである。私の憧れの茶事である。

_072_1※手燭(左)短けい(右)

短けいとは耳慣れないかもしれないが、和ろうそくの灯芯だけを何本も束ねて火をつける昔の照明方法である。灯芯の本数により明るさを調節していたようだ。行灯など装飾的な照明器具は江戸時代に入ってから普及したようで、火を焚く事は暖を取るほかに照明としての役割も担っていた。

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転合庵の綺麗さび

茶室シリーズ、退屈でしょうか?もう少しお付き合いくださいましね。今日は転合庵茶室、池のほとりの芝庭に面した、明るい雰囲気を持つ茶室です。

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前記事の春草盧茶室の鄙びた造りとは対照的に、「綺麗さび」という小堀遠州好みを感じられる造りである。

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屋根部分、桧皮葺き(ひわだぶき)というそうで、桧の表皮を細かく葺いている珍しい屋根。初めて目にした。

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芝生からの眺め

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水屋出入り口の戸の造作も凝っている。遠州の「綺麗さび」である。

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にじり口。この茶室への入り口がどうしてこんなに窮屈でしかも屈んで入らなければならないか・・・・。茶道においては門をくぐり庭に入った時から、身についた穢れを少しづつ落としていく装置が様々な形で仕掛けられているのだ。二重露地、腰掛待合、庭の関守石、蹲などなどすべて身の穢れをそこで落とす意味がある。結界という感覚だろうか?最後の仕掛けとして、にじり口。これは一説によると狭い産道をくぐるがごとくに、赤子の無心な心にて茶席に入れよという例えらしい。一理あるなと思う。

茶の湯に無知だった頃、茶室を見ても庭を見ても何も感じとるものがなかったが、それなりに年を取り未熟ながらも茶の湯などの楽しみを知った今では、「年齢」を重ねる事を素直に受け容れられる。若い時の私の頭は鉱石のように硬かったかもしれない。そんな事を徒然に思いながら、灯籠を抱いた転合庵茶室を眺めている。

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春草盧

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鄙びた春草盧の佇まいである。

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摂津淀川の河川改修工事の際の休憩所として、河村瑞賢が建てたものが、大阪、横浜三渓園、埼玉柳瀬荘と移築を重ね、現在の位置に落ち着く。

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三畳向切の炉の間、五畳床の間付茶室は端正で質素な趣がある。

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六窓庵

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二重露地という形式の金森宗和好みの茶室。木戸から足を踏み入れるとすぐに小さな寄付に。013

この寄付を回り込むと裏側に腰掛待合があります。Photo_4

さてここからが内露地。いよいよ茶室入り。垣根の向こうは今、通ってきた外露地、寄付。

024利休翁好みの「四方仏蹲(つくばい)」この蹲で手を清め、口を漱いで禊をした後、

010_3にじり口より茶席に入ります。武士であればここで刀などの武具を身から離して席入りしたのです。刀掛けがないかな?と探しましたがこの六窓庵にはついてないようでした。

023どうでしょう、茶庭、茶席入りする前の厳かな雰囲気は伝わったでしょうか。明日は、私好み、田舎屋、侘びた味わいの春草櫨をご紹介します。

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東京国立博物館 庭園と茶室一般開放

上野の国立博物館内の日本庭園は、気候の安定した春と秋に一定の期間を設け一般開放している。この秋は11月いっぱいで期間が終了するので、秋晴れの一日美術館めぐりも兼ねて出かけてきた。酔芙蓉、名残の一輪がポツリと咲き、枯芙蓉の姿が寂しく揺れていた。花盛りの頃に見たかった。来年の夏にまた出会えるだろうか。

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今回のお目当ての庭園内の五棟の茶室について、東京国立博物館 庭園と茶室.のホームページに由緒が詳しいのでここでは説明を省きます。それでは私といっしょに茶室と露地を巡っていきましょう。

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御成座敷の茶会

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お軸は

「掬水月在手」

水をすくえば月は手に在り

唐代の詩人、干良史の詩より出典した一節です。言わずともその情景はありありと浮かんでくるようです。床の間には茶花と香合、書院には文物が飾られています。

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清澄な秋の雰囲気を感じる床の設えです。

花はヨメナ菊、ミズヒキ、イヌタデ、葉蘭などなど。野の花を六ツ目の手付籠に野趣たっぷりに生けております。

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そしてお道具のそろえ。

釜は肩衝釜、炉は古銅朝鮮風炉、風炉先は「満月」透かし彫り。棗は秋草蒔絵、水指は青磁、棚は一重棚、そして煙管箱を横に据えています。

今回の茶席の菓子は「月兎」、小ぶりな丸い兎のじょうよ饅頭で可愛らしくて食べるのが・・・・と思いつつパクパク。饅頭好きよ~~(笑)。

全体に月を感じる趣向の席になっていました。

この度、お席の写真を撮らせていただけませんかとの不躾な申し出に快くお答え下さり(きれいに撮ってくださいね!と・・・・)、そればかりか、突然の闖入者である私に、茶菓でおもてなし下さいました百花園茶会の皆様、本当にありがとうございました。来年は、きちんと客としてお伺いいたします。改めましてこの場をお借りしてお礼申し上げます。(連れの夫は心臓が縮みそうだったと言い、私と出かける時はいつもこんな感じになるとグチっていました。笑)

以上、御成座敷、月見の茶会記でした。

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大寄せの茶会にて

秋の長雨が続く。休日が雨だと心底損した気分になる。室内で乾かせるほどの量の洗濯物(ウチは乾燥機がない!)と掃除などやり、時期なので冬物を引っ張り出し、未練がましく残っている夏物をしまって、毎度ながら適当な衣替え。思えば今年は九月に入ってからの残暑が少なかった。足踏みせず迷わずに今年の秋はやってきた感じがする。持て余した時間で、溜まっている写真の整理などしていたら、何年前かの茶会での写真が出てきた。

茶会はもちろん、お稽古の時も金属類のアクセサリーなどは身につけないから、茶室内にデジカメなど持ち込む事はない。加えて気持ちが緊張し集中しているので、お茶の時は自分で写真を撮る機会は滅多にないのだ。多分、これは外部の人がご厚意で撮影してくださったものである。自分でも珍しいと思ってしまった。

地域の芸術祭で大寄せの茶会を設けたとき、稽古仲間とともに「半東」役を務めた。半東とは、水屋(台所みたいなもの)で茶道具を手入れしたりする役目、言わば茶席の裏方さん。大寄せの座敷でのお手前では多数の人数分の茶を点てられないので、半東が水屋で茶を点てたり、何個もお茶菓子を菓子鉢に盛り付けたり大忙しである。大寄せは予約制でない限り、ぶらっと洋服で参加できるし、気楽に茶菓を楽しめる。茶の湯の入門はまず大寄せから。

どんなにてんてこ舞いの水屋でも、茶菓を運ぶため茶室入りしお客様の前に出たら、つねに落ち着いて振舞わないといけない。この時もそんな大忙しの茶席が無事終了し、仲間とゆっくりお茶を点て合い菓子を頂いている時のもの。お隣でお薄を頂いているお稽古なかまの年長の方からはお会いすると「早く戻ってらっしゃい」とお誘いを受ける。ええ、なるべく早いうちに、と応えつつ、すでに数年が経つ。

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明日は楽しみにしていた向島百花園の「観月の会」の最終日である。昨日、今日と悪天候にたたられている。明日はどうぞ晴れますように・・・・。

☆今回も顔写真はトリミングでカット、すみません・・・・。

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名残の月

Photo_14もうすぐ十月、秋も深まりゆくこの頃。

残花、野に満つるのもつかの間。

たちまちにすがれてゆく花に

滅びゆく瞬間の美をいとおしむ季節。

開炉までのひと月を「名残の月」とよぶ。

冷え枯れた無常の世界に包まれる。

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木槿花 一朝の夢

八月の声を聞けども・・・・夏はどこかへ雲隠れしていますね。

涼しく過ごす夏の朝も、年を重ねた体には天の恵みといえましょう。

もう少し、この気候が続いてくれればいいのにと思いますが、

天候不順による農作物への影響も心配なところ。

やはり、ほどほどの夏であることを祈ります。

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白い花びらに、気高さを秘めた白木槿(シロムクゲ)は風炉の花の代表格で、一般家庭でも庭木として愛好される人気の花である。同じ木槿で底紅の差したものは、宗旦木槿と呼ばれ、こちらも茶花に用いられる。

追記:テーマは「槿花(きんか)一朝の夢」という言葉より。この世、この身の儚さは朝に開花し、夕方にはしぼむムクゲの花のごとし。

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茶席の裂

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日本に古くから伝わる文様、私を惹きつけて止まない世界である。身の回りにある文様の由来など、別に気にしなければ、しなくて済むものであるが、世の中よくしたもので、このような意匠を集めたデザインブックなるものがあって興味に火をつけられる。上野の国立博物館などは染織の古いもの、能衣装、茶人の好んだ裂など所蔵されていて、じっくり1日かけて堪能したことがある。実は日本は世界に誇る意匠大国なのである。何せシルクロードの終着点、遠くペルシャ・ギリシャから運ばれ、そのままの形を残すもの、そこから長い時間や、各時代の優れたアーティストの手を経て、わが国独特の文様に変容したもの膨大な量である。上の写真の数奇屋袋、袱紗ばさみは私物である。数奇屋袋とは、茶席の必需品をすべて入れるバッグの事である。袱紗・古袱紗・懐紙・楊枝入れは一まとめに、袱紗ばさみに入れる。以前記事にのせたもので、常時携帯していたが、正絹のものはやはり汚れや傷みが気になるので和紙製のものも多用している。大きいほうの数奇屋袋には、袱紗ばさみの他に、懐石を頂き、食べ切れなかったものを入れる残滓入れや、替え足袋まで入れる。欲張りな私だから、いろいろな文様が詰まっっていて、間道とよばれる縞模様の地に、名物裂とよばれる、波に鯉が跳ね踊る「荒磯紋」、百花の王牡丹を意匠化した「牡丹唐草紋」、蔦の花・実を意匠化した「蔦蔓紋」、梅鉢をくずした文様(名前はわかりません)を織り出していて色合いが気に入り、自分で買い求めた。茶人・文人・大名などが特に好んだ裂は、「遠州緞子」「青木間道」「大徳寺金襴」「船越間道」などと名づけられ、類別されている。素敵な裂の世界だが、足を踏み込んだら蟻地獄にはまりそうで恐いのだ(笑)。

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古田織部の茶道・桑田忠親著

_007_1織部特有の緑釉を思わせる

苔むした岩とせせらぎ

 

 

 

古田織部重然、その名は桃山文化の華として茶の湯・陶芸・染め織りに至るまで、その才を余すところなく今に伝えている。当時のアートディレクター、美濃・伊賀焼などの指導者としての顔が有名であるが、自ら槍・刀を持ち戦国の世を戦い抜いた武将である。関が原以降は千利休亡き後、天下一の茶の湯の宗匠として武家茶道の発展の礎になった。茶道系譜から言えば、利休の子孫である茶道四家(表千家・裏千家・武者小路千家・藪之内家)や武家から起こった諸流派などで太い幹を作っているが、織部の存在なくしてこれほど深い茶の湯の世界は形成されなかったであろう。大坂城内通などの嫌疑をかけられ、家康から切腹の命令を受けたが、悄然とこれに従い71歳にて摂津木幡で最期を迎えた。亡骸は紫野・大徳寺玉林庵に眠る。

武将織部の戦世(いくさよ)にあって数寄者であることを物語るエピソードを要約抜粋してみる。

近古武事談に記されたものによると、織部は大坂冬の陣の時、自分の持ち場でもない佐竹義宣の陣所に訪ねていった。両人は竹束の陰に入り、兜を脱いで積もる話をし、風炉に茶を点てて飲んだ。織部は後ろを向き、竹束の中に茶杓になる竹はありませぬかと、首を傾けて物色していた。ときに、織部の禿頭が、盾の間からきらきら輝いたので、城中より、これを見すまし、鉄砲を放った。それが織部の頭をかすった。織部は、さっそく、頭を抱えて、「手負いたり、手負いたり」と叫んだので、そばにいた茶坊主がすかさず、茶巾と袱紗で血をぬぐった。(中略)傍で見ていた者たちは、数寄者に似合いたるぬぐい物じゃと嘲笑したそうである。数寄道の見地から言うと、茶杓によい竹を物色していた織部の行動は数寄執心の結果であり、戦場にあっても、なお、茶の心を忘れぬあっぱれなものである。茶道の心がけの薄い武辺の者には正しく理解されないものである。(後略)

茶道史から見る戦国から江戸の世への移り変わりがきめ細かな史料を元に、情緒に流れない語り口で読みやすい一冊である。茶道に興味のある方にもそうでない方にもお勧めしたい。

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深いこころざし

こころざし 深き人には 幾たびも

あわれみ深く 奥ぞ教ふる

~利休百首より~

利休翁が言うには「こころざし高き人」ではなく「こころざし深き人」なのであります。そのような人物には折々にふれ、図らずとも、深く教わるものを兼ね備えているものだと、利休翁は言いたかったのでしょうか。世に出て、名を成す人に限らず、市井で普通に生活をしている人の中にも深いこころざしを持つ方はいると思われます。学校で、会社で、地域で、その他たくさんの場所で多くの人々にめぐり会いますが、自分が心の眼を開いて接しない限り、そのこころざしに触れることもできませんし、相手から教われるものもないでしょう。そんな事を、この一首から思います。

_014_1 少し脇道にそれますが、茶道に限らず、日本古来からの武道、舞楽、芸術の修養の方法の一つに、丹田(おへその直下)に意識を集中し無心で励む、というのがあります。これにより一切無我の境地に達する事が出来るというのです。腹脳と呼ばれる、この場所は、お腹がすけば泣き、腹が足りれば穏やかになるという、赤ん坊のころの原始の意識が残る場所らしいです。赤ん坊は思い煩ったりしません。大人になり年をとるにつれて、胸で思い煩う事が多くなりますね。これは、感情とか、分別とか、世間体などを心の中にたくさん抱え過ぎて胸が悶々としてくるのです。こういったものをすべて捨てれば心は楽になるかも知れませんが、社会生活を送る以上は仙人でもない限りそれは無理なこと。それでも一瞬でも解き放たれたい時もあります。感情の嵐にもまれる時、緊張感でがんじがらめになりそうな時、自分を周囲の風景の中の些細な存在である事を思えば、凝り固まった心がスッとほどけていくような感覚になります。揺るぎない意識の置きどころとしての丹田、腹が据わっているなどという表現もここから来ています。いい年をして、まだまだそこまで達してない私ですが・・・・。

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季節はめぐる

雑事が押し寄せ、ひとつひとつ片を付けながら、うっかり暦をめくるのも忘れていた数日間でした。今週も仕事がらみのヤボ用が続きます。

茶の湯では5月からは風炉に切り替わります。4月いっぱいまでは畳の角を四角く切って掘った炉で湯を沸かしますが、その炉は11月の口切の茶事までは使用せず、畳で覆われます。かわりに陶器や鉄器の据置できる風炉でお湯を沸かします。茶室の設えも、花も、掛け物も初夏から秋にかけての趣を強く意識したものになります。お手前の時に、いつもの袱紗のたたみ方ではなく、金魚の形にたたんでちょこんと釜蓋の上に置いたりするのも、可愛らしかったものです。水差しも、オーソドックスなものではなく、ガラス鉢にしてみたり、いろいろ工夫しながらお茶のひと時を楽しめます。

お茶に欠かせない和菓子も、様々に趣向をこらしたものが出回りますね。ワカアユやアジサイをかたどった主菓子や、藤の花や流水、花筏の干菓子など、繊細な季節感の表現に職人の技と感性が生きています。日本人の自然を見る視線が見事に凝縮された和菓子を時にはゆっくり味わってみませんか?(大福やどら焼ももちろん大好きですよ~)

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初釜の季節

はぢをすて 人にもの問ひ 習ふべし

是ぞ 上手のもとゐなりける

~利休百首より~

わからない事があれば、はずかしがらず人に聞きましょう。それが上達の基本です。少しかじっただけで分かったような気分になるワタシを戒めてくれる一首で、座右の銘に近いかも知れません。

ワタシの茶扇の両面には利休が茶の湯の心得として詠んだ歌が百首ならんでいます、現代生活のあらゆる場面で応用できる歌でもあります。

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お茶の世界でも年が新たになり、お正月の行事も一通り落ち着いた今頃はお稽古仲間の新年の顔合わせも兼ねての初釜の集いが盛んな時節です。新年最初なので気の張る集まりかと言うとそうでもなく、先生のお宅に集まり、新年にちなんだ道具立てや茶室の設えを楽しみ、はなびら餅の主菓子を頂きながら、順々にお手前を披露しあう中、お茶を味わうものです。最後にみんなでささやかな点心の料理で、くだけた会話を楽しみます。

ドレスコードは様々で、大きな会では正月らしく華やかに決めるのも良いし、内輪のお稽古仲間の集まりであればあまり格式ばった装いでは逆に浮いてしまいます。私はよく江戸小紋や紬に染めの帯を合わせたりしていました。

(右)加賀友禅の染め帯。銀鼠色の塩瀬地に、ぽっと開いた花が描かれています。加賀友禅独特の五彩(紫、朱、黄土、藍、緑)で輪郭を濃く、中心に向かってぼかす手法や、虫食いと言われる技法で葉を絵画的に繊細に表現しています。今の時分から春先にかけて締めたい帯です。

(左)そして細かい型紙を何枚も使用し、切り羽目模様に染め上げた江戸小紋です。江戸時代の武士が裃に染めた模様が今に受け継がれています。渋くて粋で気に入っています。

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茶を点てました

愛用の薄桃色の志野茶椀にお薄を点て、柿の葉餅で一服です。

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お湯はいつも霰文の南部鉄瓶でわかしています。最近の鉄瓶は中がホーローびきになっているものがあり、それは鉄瓶じゃないぞと一人つぶやくワタシです。

面倒でも、湯を捨て、いちいち空焚きの始末をして15年以上使ってきました。おかげで長保ちしています。

この夏、帰省した時、盛岡駅の中の岩鋳で、熊よけの鈴を買ってきて、仕事場のデスクに飾ってあります。大変よい音が鳴ります。周りが熊だらけなので・・・・(爆)

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秋彼岸の一日、茶花を活ける

_002_2_thumb野の草花にひとしおの愛着を持ち

病床でも野草の図鑑を手放さなかった

父を偲んで久方ぶりに茶花を活けました。

ヒヨドリ草と槿、そしてススキ、花器は古物の瓢です。

真・行・草で言えば草の体です。

活けて写真を撮ってみてから気づいたのですが

全体のそぎ落としがまだまだ足りませんね。

槿もつぼみの開きかかったくらいが

理想の茶花の活けです。

花屋さんの店先の華やかな花々にも魅かれますが

道端や、土手の雑草木を

こうして活ける楽しみも捨てがたいものがあります。

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いつもバッグの中には・・・

袱紗挟みが入っています。文化祭や芸術祭などでお茶会を開いていたりする事が多く、そんなときは気軽に参加していますが、最低限、これだけ持ち歩いていると慌てずに済みます。上から左~右~下の順で

_173 袱紗挟み・遠州錦と言って江戸時代の小堀遠州という大名が好んで身につけた文様です。この中に下の5点がぴったり収まっています。

古袱紗・お濃茶を頂く時、茶碗に添えて使用します。正倉院文様といい、とても格の高い柄ですが、どこかエキゾチックな味わいもあります。古くはシルクロードを経由して日本に渡ってきた文様だそうです。

袱紗・お手前の時にお茶の道具を拭き清めたりします。袱紗さばきといいますが、何度も稽古を重ねるうちに袱紗が言う事を聞くようになりました。私のは朱色の無地です。抹茶の染みが残っています。

懐紙、楊枝入れ・お茶菓子を頂く時に使います。普段から、お菓子のお裾分けなど頂くときティッシュなどじゃなく懐紙を使った方が、上品かなと思います。毎年初釜の時に先生から、歌会始のお題にちなんだ模様の懐紙を頂いていました。楊枝入れもそうですが、3時のおやつタイムの必需品です。

茶扇・いつもは帯の隙間にはさみ、茶室入りする時、手前において挨拶をする時などに使います。私のは、利休百首が両面にびっしり書き込まれています。茶道心得を和歌に表現したものなのですが、社会生活に通じるものもあり、普段から持ち歩き、時々開いて読んでいます。暑いからといって、これでパタパタしてはいけません!

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‘書’そして‘茶’

知人の誘いを受けて、銀座松坂屋の洗心会書道展を鑑賞してきた。
難解な漢詩(高校の漢文の授業を思い出した)や
和歌、近代詩からの出展もあり、
気に入ったものは受付の方の許可を頂き、デジカメで撮影してきた。
流麗また端正な書の見事さはまさに目の保養となった。
そして最近美しい言葉に触れる事の少なくなった自分を反省。
書は茶の湯とも深く関わるものだからこれからも機会は逃さないようにしよう。

お茶の稽古も再開したいと思いつつ先送りになっていて、
ばたばたと日々同じ事の繰り返しになっている。
茶道はお手前を披露する時の心地よい緊張感が好きで作法通りに完璧な所作で
一服の茶が点てられた時の快感は何とも言えないものがある。
茶の湯は奥深く、客をもてなす様々な仕掛けはもとより、
茶碗を拭き清めるだけの茶巾の扱い方や
炉の炭の積み方などきちんと意味付けがある上で
見事なまでに様式化された総合芸術と言えるのではないかしら。
私は少しかじっただけで中断しているけれど
もっともっと深く触れてみたい世界だ。
それから茶道は女性のたしなみとして一般化しているけれど、
男性の(武士の)たしなみとしての歴史の方が長いものだ。
だからというわけではないが茶の稽古を続けている男性にはとても魅力を感じる。
その佇まいや所作が明らかにその辺の無作法な男どもとは違うのだ。
私も姿勢の良さを褒められることがあり稽古のおかげかなと思うし、
仕事でもここ一番の集中力が出るのは、地味な稽古を積んだ後、
その成果を茶会で披露する時の経験が生きてるかなと思ったりする。
それと何かの本に書いてあったけど、
日本人のCS(顧客満足)の原点が茶の湯にはあるそうで、
小売業に従事している私としては切れない関係があるかもしれない。

と、言うわけで久々に抹茶を点てて一服しようかなっと・・・。
(最近コーヒーばかり・・・おいしい豆をひいてくれる店を見つけたもので・・・)

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