麻の長襦袢

夏の薄物を涼やかに着こなすにはいろいろな工夫が考えられるのだが、実家の母が縫ってくれた麻の長襦袢は肌ざわりがサラッとして気に入っている。絹の絽や紗のものにくらべて外気温を調節するのにやはり植物性の繊維は有効のようだ。

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母の心尽くしが今になってしみじみと感じられる。億劫さが先立ってついついしまいっ放しになっているものたちにも、袖を通してあげたい気持ちが強くなってきた。


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黒地の夏物のお召。上の白の麻の襦袢を下着に着ると、織りこんだ小さな丸紋が水玉を散りばめたように透けて見える。お召しという着物は先染めの糸を使って織られるので、分類上は紬と一緒であるが、紬よりはややフォーマルで、この着物も街着はもちろん、帯を変えれば、茶席や軽いパーティーなどにも着てゆける、大変利用範囲の広い着物である。

と、言いつつ、やっぱり暑さに弱い私は、相当に気合いを入れないと・・・・。

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♪山笠は千代町流れ 悲しみも押し流す・・・・

懐かしいチューリップの「博多っ子純情」を聴きながら、博多の街と山笠を思い浮かべている。

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BGMは夢一夜

何だか去年は娘の振袖選びに気合いが入りすぎて、もう着物はカンベン!という気持ちになりかけていました。タンスの肥やしに拍車がかかりつつあるこの頃。昔、お茶を習っていた頃は食事に行ったり、お芝居を見に行くのでも、ちょっとしたお出かけの機会があるとサッと着て出て行ったものでした。今の私ときたら・・・・(笑)。着物の色合わせ・しばり事は洋服にはない感覚だから、忘れてしまいそうになるたびに、虫干しがてらに引っ張り出しては着物の上に帯や小物を置いて色合わせなどしています。

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この着物は渋みの利いた金茶色の無地ですが、綸子地に茶屋辻模様の細かな地紋がつややかに浮き上る、「綺麗さび」を感じさせる着物。紋付の着物ではドレスコードの低い刺繍の一つ紋の着物です。この色を着こなせる年代にようやくなりました。

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小物でぐっと印象が変わるのが着物の醍醐味です。差し色に朱色の矢羽根模様に組んだ帯締を合わせて若さを少しだけ出してみました。お気に入りの川島の帯はさび朱の葡萄唐草、帯締の鮮やかな朱色より、ひと色錆びた朱色。この帯と帯締は相性がよくて、いつも無意識に選んでいた色合わせです。

南こうせつの「夢一夜」って歌がありましたね。

♪素肌に片袖通しただけで色とりどりに脱ぎ散らかした・・・・

・・・・(略)

着物に触れているときに何となく思い出す歌になりました。

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28年前に買ったカセットテープ、まだ聴いています。「夢一夜」はもちろん、かぐや姫解散後のこうせつの代表的な曲がズラリ。中でも「れくいえむ」がとてもよい歌です。阿木曜子の作詞でした。SIDE Aが南こうせつ。

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そしてSIDE Bは風・・・・。ベストなのに私の好きな「あの唄はもう唄わないのですか」が入ってないのが玉に傷。

あの頃にどっぷりとはまりこんでしまうテープです・・・・。

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加賀の五彩

Photo何の花なのでしょう。ぱっちりと開いた梅の花にも見えますが、葉っぱが描かれているのを見るとそうではないような気もします。イメージの花?

加賀は憧れの城下町。いまだ訪れたことのない街。でも加賀に所縁の染物を大切にしまっている私。

作者の落款が入ったこの塩瀬の染め帯、葉の虫食い模様や輪郭から中心に向かってぼかしてゆく技法(京友禅は逆)に加賀染めの特徴が見られますが、どこか幻想的な世界も感じます。

着物で出かけるゆとりの時間、最近なかなか持てません・・・・。

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わらう ~こどもの肖像~

ずっとむかし わたしはまだいなくて

あざみの葉かげの 光のつぶつぶだった

だけどしってたの おかあさんの涙を

わたしはしっていた

わたしもいつかおかあさんのように泣くだろうって

いくつ言葉をおぼえても かなしみはなくならない

だからわたしは いま ここにいて

おかあさんに笑いかけるの

詩)谷川俊太郎

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誰が袖図屏風~虫干しの風景

1105695214_2昔のように普段から着物を着る生活であれば、手入れも手馴れたものになるでしょうが、現代のライフスタイルには適応しません。

座敷の長押にロープを渡して、そこに着物をつるして虫干しをしている風景は昭和中期までは一般的な習慣として残っていたでしょうか。絹は湿気が大敵で、カビや虫食いを防ぐためにも、このような女仕事は重要でした。

上の画像は「誰が袖図屏風」、江戸時代の作品で、このような虫干しの習慣を艶やかに屏風絵に切り取ったものです(根津美術館所蔵)。衣桁にとりどりの絹の衣が美しく描かれています。

※衣桁(いこう)・・・・今でいえば、ブティックハンガーのようなものです。

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わが家の場合、着物の枚数も少ないですし、着用機会もずい分減りました。それでも湿気対策や虫除けには頭を悩ますところで、苦肉の策として、よく晴れた午前中の間、衣装ダンスの扉を開いて空気の入れ替えを行っています。そのせいではないでしょうが、大切な着物・帯など数十年経つモノでも、しっかりしています。

今回、娘の成人式には振袖は新調しましたが、帯やショール、ぞうり、バッグなどは私の物を再利用(笑)します。初めに、「この振袖にはこの帯を合わせるのよ」と娘には私の帯だということを伏せて伝えたら、とても素敵!と気に入ってくれて、そんな喜ぶ娘の笑顔に私までうれしくなった着物選びでした。さてもうすぐ成人式ですね。新成人のみなさんに心から「おめでとう」のメッセージを送ります。

↓↓↓追加投稿(調子ぶっこいています!)

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振袖選び

今年に入ってから来年新春に成人式を迎える娘に続々とダイレクトメールが届いていました。良いものから早くなくなるというフレコミにもめげず、春先から何度か呉服店やデパートの呉服売場、レンタル衣装店にも足を運びました。私ひとりの時もあれば娘と一緒の時も・・・・。えぇ、女ですからきれいなものを見て、あれこれ合わせてみたり、それはそれはノリノリで楽しかったです。私はまだまだ~、と粘ったのですが、娘の方が先にもうどうでもよくなってきたようでした。仮縫い仕立ての着物を何枚も体に合わせてみて好みや似合う柄や地色も解ってきたところで、今度実家の母に写真を見せて意見を頂くことにしました。

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黒地はやはり重厚感があり、古典柄なので上品だと思いますがどうでしょう・・・・。

仮仕立ての着物をざっと着付けてもらいました。似合うかどうか一目でわかります。

帯は私の娘の頃の帯も合いそうです。着物は帯でガラリと雰囲気が変わるので着こなしも楽しめます。

最後におふざけで娘が白いフワフワのショールを当てたいと言い出したら、お店の方もどうぞどうぞで、こんな具合になりました。私は白のショールが嫌いなので反対です(笑)。娘にはナイショですから、この写真しばらくしたら消しますよ~(笑)。

何だかもう少しこの楽しい時間を味わいたいのですが、娘が「お母さんが決めていいよ~、お母さんの好みが一番かも~」と言うのでこのあたりで手を打とうかと思います。

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茉莉花とシルクロード残照の町

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慌しく日本を発ち、異国で社会人の一歩を踏み出したセガレ。ここまでの紆余曲折を見つめるだけしか出来なかった私としては、メールに先輩講師や学生達のアットホームな歓迎会の様子がのっていてひとまず安心というところである。

彼の住む町は東シナ海を挟んで台湾島、九州と対峙する年中気候温暖の地である。この地方が最も栄えていたのは宋・元の時代。当時の西方の最大貿易都市アレキサンドリアにも匹敵するほどの栄華を誇った国際都市で、多くの国との交易が活発だったらしい。アラビアンナイトにもその名を残し、市内にある観光で有名なお寺はイスラム寺院の趣がエキゾチックな美しさ。古くから貿易官庁が置かれ、科挙による人材の登用が活発だったようでグローバルな人材を世に輩出してきた地域性が現在の語学教育熱に引き継がれている。世界各国に散らばる華僑はこの地域の出身者が圧倒的に多いらしい。その反面、近年取り沙汰されていた密航を指揮する蛇頭が跋扈していたのは、倭寇といって中世日本に恐れられていた海賊たちがいたということと無関係ではなさそうである。また大戦期以降、台湾との緊張関係においてはわが国も深い影を落とす地域である。

こんな歴史の光と影が交錯する町での彼の生活は始った。今までまったく知らなかった場所だが実に魅力的な中国の古都である。縁が出来たことで、できるだけ近いうちに訪れてみたいと思っている。

画像に使ったのはシルクロードから伝わる樹下草鳥紋やペルシャ風の蔓草文を道長取りに織り出した手持ちの正装用の袋帯です。

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大寄せの茶会にて

秋の長雨が続く。休日が雨だと心底損した気分になる。室内で乾かせるほどの量の洗濯物(ウチは乾燥機がない!)と掃除などやり、時期なので冬物を引っ張り出し、未練がましく残っている夏物をしまって、毎度ながら適当な衣替え。思えば今年は九月に入ってからの残暑が少なかった。足踏みせず迷わずに今年の秋はやってきた感じがする。持て余した時間で、溜まっている写真の整理などしていたら、何年前かの茶会での写真が出てきた。

茶会はもちろん、お稽古の時も金属類のアクセサリーなどは身につけないから、茶室内にデジカメなど持ち込む事はない。加えて気持ちが緊張し集中しているので、お茶の時は自分で写真を撮る機会は滅多にないのだ。多分、これは外部の人がご厚意で撮影してくださったものである。自分でも珍しいと思ってしまった。

地域の芸術祭で大寄せの茶会を設けたとき、稽古仲間とともに「半東」役を務めた。半東とは、水屋(台所みたいなもの)で茶道具を手入れしたりする役目、言わば茶席の裏方さん。大寄せの座敷でのお手前では多数の人数分の茶を点てられないので、半東が水屋で茶を点てたり、何個もお茶菓子を菓子鉢に盛り付けたり大忙しである。大寄せは予約制でない限り、ぶらっと洋服で参加できるし、気楽に茶菓を楽しめる。茶の湯の入門はまず大寄せから。

どんなにてんてこ舞いの水屋でも、茶菓を運ぶため茶室入りしお客様の前に出たら、つねに落ち着いて振舞わないといけない。この時もそんな大忙しの茶席が無事終了し、仲間とゆっくりお茶を点て合い菓子を頂いている時のもの。お隣でお薄を頂いているお稽古なかまの年長の方からはお会いすると「早く戻ってらっしゃい」とお誘いを受ける。ええ、なるべく早いうちに、と応えつつ、すでに数年が経つ。

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明日は楽しみにしていた向島百花園の「観月の会」の最終日である。昨日、今日と悪天候にたたられている。明日はどうぞ晴れますように・・・・。

☆今回も顔写真はトリミングでカット、すみません・・・・。

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夏帯

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あえかなる

吐息を浮かべ

夏帯を

ほどく うす闇

ゆれる 桔梗花

~山桜庵主

夏の日盛りに着物で出かけ、帰宅後涼しい部屋で帯締め・帯紐・帯揚げから緩めて帯を解いたときの開放感は女性にしか解らない感覚だと思う。

この紗の夏帯は盛夏のよそゆきに締める帯で、色は極々淡い色目に抑えられ、織りの陰翳で繊細な柄を表現している。桔梗の花も好きだが、露芝草紋と呼ばれる見事に意匠化されたこの紋様が私は好き。夏の紋様には、波濤紋・八つ橋紋・水紋・浜千鳥紋など無数にあり、古より受け継がれた和のテキスタイルデザインの洗練と優美さにはいつも目を奪われてしまうのだ。

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会津の苧麻(からむし)越後の上布

全国各地では自然の特性と特産を生かし、その土地独特の織物を生産してきました。それぞれの古い伝統と技術を守るため、後継者の育成と商品の普及に懸命に努力を続けていますが、現代の大量生産時代には家内工業的な伝統工芸は衰退の道をたどるばかりです。大変惜しいことと思います。

夏織物の最高級品で、越後上布と呼ばれる麻織物があります。薄く透ける涼やかさに蝋引きしたような艶と細かに打ち込まれた絣模様の美しいものです。原料である会津・昭和村の上質な苧麻が生育し収穫され、越後・魚沼の農家の女性たちの手により糸積み、糸染め、機織、雪晒しなど細かな工程を経て、一反の製品になるまで1年半あまりの月日を費やすといいます。伝統は古く、奈良の正倉院には越後国何某献上の墨書が入った保管用の麻袋の断片が残っているそうです。越後上布、憧れだけでとても手の出ない高嶺の花で、呉服屋さんのショーウインドウの衣桁に飾られた作品に見とれて、お値段を見てビックリしたこともあります。上布を通した風はひんやりと冷たくて、蒸し暑い日本の夏をきちんと着物で過ごすのに適したもので、絣の柄もとても精緻で美しいものでした。芸術と呼べるこのような織物を、農作業の合間にひたすら織り続けてきた女性たちも、上布に捧げた一生だったのでしょう。

江戸時代末期、文化文政のころの魚沼生まれの文人、鈴木牧之「北越雪譜」は豪雪地の耐乏生活と、越後上布や縮織物にたゆまず励む農民たちの姿を著し、世に有名です。

「雪中に糸となし、雪中に織り、雪水にそそぎ、雪上にさらす、雪ありて縮みあり、されば越後縮は雪と人と気力相半ばして名産の名あり。魚沼郡の雪は縮の親というべし」

初夏の風を感じながら、若き日、越後長岡出身の人に教えていただいた事を思い出しながら、つらつらと書いて見ました。

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ジャワ更紗(バティック)の島

_012_2色糸を何色も織り込むことで模様を成す「絣」と、白布に染料で絵柄を表現する「染」。この染織はインドを基点とし、世界各地に広まりました。特に更紗と呼ばれる染模様は伝播した各地で熱狂的に受け容れられ、その地でさらに洗練され今に続いています。模様のモチーフは草・木・花・動物・器物など多岐に渡りますが、摺り染めならではの巧緻で繊細な染に特徴があります。写真のきものはこげ茶地に更紗の摺り染めと辻が花風の絞り染めをアレンジした小紋です。唐花更紗の異国的情緒に魅かれます。

ジャワバティックはインドから伝わった更紗文様が、南国の花鳥・草木を見事に染の美に結晶させた、世界でも稀有な芸術です。インドネシアの女性が器用にまとう一枚布のバティックにも、男性が着用している涼しげな大判の華やかな木綿のシャツにも、ジャワ更紗が美しく染められています。自然とともに静かに生きる人々に対して、この度の地震は非情すぎる仕打ちでした。スコールも容赦なく打ちつけ、家を失った人々には辛い日々が続くでしょう。救援があまねく行き渡りますように。

日本赤十字社の救援活動に協力し、募金活動を行っています。街角の店先で募金箱を見かけたら、ご協力お願い申し上げます。

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気持ちよく晴れた一日、重い腰を上げ箪笥の整理をしました。季節の変わり目には必ず着物の状態のチェックをしています。いつも気になっていた仕付け糸さえとらない草木染の紬、思い切ってエイヤッと着てみました。ブログをずっと読まれていた方は、あ~、あの紬って思い出すかもしれません。帯は加賀友禅の染め帯を締めてみました。20分少しかかったでしょうか、着付け。去年、黒喪服、着たとき以来ですね。手順は大丈夫でした。髪型もいつも通り、無造作にアップスタイルです。ヘアピンは使わず、くるくるとひねってバレッタでバチン、で終了。何だ~、このまま、すぐにでもお稽古再開できるじゃないですか~。あとは時間と月謝のやりくりだけ。頑張っちゃおうかな~。      

_045染めの柔らか物もいいですが、紬の冴えた絹ずれの音もたまりません。普段着の外出着ですから衣紋(えもん)も抜かず、しゃきっと着ます。

「豪華な衣装、必ずしも贅沢とは限りません。三千円で贅沢な木綿もあれば、十万円で貧困なよそゆきもある。まして、きものだけを見せびらかす体のきものは、その人柄まで見え透けてしまいます。もちろん、きものは自分の為に着るといっても、本来、人に見せる為にあるものです。おしゃれとは、虚栄心以外の何者でもない。だから、見せるために着ていいのですが、見せびらかす為に着る必要はない。それでは、楽しんでいるとはいえますまい。要は、背伸びをしないことで、度々いいますように、自分に似合ったものを見出す事です。」

きもの美~白洲正子さんの言葉より

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染の風景

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はつ雪によこたふ芝草のあはれなるかな

蒔糊という地染の手法と変化する色で芝草だけを描き金砂子などを散らして華やぎを少しだけ・・・・。冬枯れの野に初雪が舞う風景が浮かんできます。

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ゆうやけ色をつむぐ

_017 草木染で橙色、紺色、水色、薄黄色をグラデーションに織り上げた信州紬です。遠目には、チェックのようにも見えるけれど、近めでは色合いの変化が美しく、洋服っぽいモダンな織り柄です。実はしつけ糸も解かずにたんすの中にあり、虫干しの時に今度こそ、袖を通そうと思うのですが、なぜかこの着物を着て出かけるにふさわしいシーンがなく、ここまできました。「紬」、懐かしい響きを持つこの言葉など、染織物の周辺には失われつつある美しい言葉、風景がまだそちこちに残されています。

子供の頃の話です。毎年旧正月の頃を過ぎると、実家の座敷にはいつも色とりどりの染物や織物が広げられていました。実家は呉服商ではないのですが、古くから栃木県足利市の呉服屋さんとおつきあいがあり、明治、大正、昭和初期、街の呉服屋さんにはそうそう出かけられなかった近在のご婦人方のために、この呉服屋さんが我が家に1ヶ月ほど滞在し、商売をしていたのです。桐生、足利などは関東でも有数の織物の産地だった頃があり、その勢いで実家のあたりまで商圏を伸ばしていたのです。我が家の冬の歳時記とも言うべきこの習いは、ワタシが小学校低学年くらいまで続きました。毎年やってくる呉服商のおじさんがワタシは大好きで仲良しでした。真冬の冷え冷えとした殺風景な座敷が、この間だけは明るく華やかな空気に包まれます。父たちには、入っていたずらなどしないようにきつく注意を受けてはいましたが、言いつけを守れる子ではなく、こっそり入って美しい絹の海に目をこらし、おそるおそる手触りを確かめたりしたものでした。もちろんイタズラなどはいたしません。おじさんが座敷にいるときはいつもそばに行って、反物をシャーッと広げたり、スルスルッと巻き戻す手さばきを飽きもせず横からじっと眺めていました。巻いてごらんというおじさんの言葉に甘えて、見よう見まね、たどたどしい手つきで反物巻きの手伝いをしたのです。面白くて面白くて何度もやるうちに、早くきれいに巻けるようになりました。おじさんもそんなワタシとの他愛もなく楽しくすごすひと時がうれしいようでした。昭和30年代後半から40年代前半は、高度成長による大衆消費社会の波が来ていて、山だらけのいなかの実家周辺も車など所有する家が増え、旧正月を待たずとも、車で町に出れば必要なときに何でも手に入れられる時代になっていました。呉服屋のおじさんも昔ほど商売にならなくなってきたことで、いつしかこの習慣も途絶えてしまいました。幼心に不審をいだいたワタシは、「どうしておじちゃん来ないの?」と家族に問いただしたりしたようです。大人は商売が成り立たないから撤退という理屈を簡単に理解できるのですが、まだ子供だったワタシには、楽しいひと時を理不尽に奪われた気がして、とても悲しく傷ついたのでした。

この呉服商の元へワタシの養子入りの話が持ち上がっていたと、後年、母から聞いた時には驚きました。ワタシの染織物を見るキラキラした目に、子宝に恵まれないこのご夫婦がぜひ養女にと熱望されたそうです。弟もすでに生まれていたとは言え、最初の内孫で可愛がられたワタシを祖母も父母も手離しがたく、固辞したということでした。実家にいらっしゃる事はなくなりましたが、その後も親戚縁者の和服だけは、必ずこの呉服屋さんから誂えておりました。遠い遠い昔のワタシの数少ない美しい思い出のひとこまでした。

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いにしえの葡萄

_251 正倉院文様のひとつ、葡萄唐草文です。

葡萄は原産地はギリシャです。乾燥した気候が育んだこの果実は、しなやかに伸びるつるも青々とした葉も美しく、古代ギリシャの人々もさぞかし絵心を刺激されたでしょう。コリント式のギリシャの神殿の柱頭などに葡萄の文様のレリーフを見ることができます。

この文様がはるばるシルクロードを伝って日本に渡ってきたのは奈良時代、唐との交流が盛んだった頃です。

当時の彼の国の錦部たちが織の技術とともに西方より渡ってきた、唐草文様や樹下双鳥文様など多数のテキスタイルデザインは、その後の日本的な花鳥文様や有職文様などに影響を与え、そして継承されてゆきます。

この錦はワタシが好んでお茶会などの折に締めていた帯です。

京都・西陣の川島織物のもので、小紋無地付け下げなど、どの着物ともあわせられる大変重宝な帯で気に入っています。

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