鎌倉・長谷寺

25日は休みを取り、鎌倉能舞台の「能を知る会」に出かけてきた。感想については追々ゆっくりまとめるとして、今日の日記には寄り道してきた夏の花に彩られる長谷寺の様子を記録しておく。

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上の写真から。

山門前で雨に打たれる芙蓉の花。

濃いピンクの百日紅と珍しい白い百日紅。

蔀戸にしなだれかかる百合の花。色っぽい。

沢水のそばで群れ咲く桔梗。

池にぽかりと白く咲いた蓮の花。

いずれの花々も夏の猛暑から解放され、雨に洗われて生き返ったような瑞々しさだった。

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こんな可愛らしいお地蔵さまも。

 

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この長谷寺は昨年秋にも友人と訪ねている。海を望む観音様、見晴らしの良い場所で湘南の海が見渡せる。

寺の一角にある展望所で海をバックに紫芋のコロッケ。揚げたてで美味しかった。

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盛岡天満宮周辺

岩手には変な狛犬が多いです(笑)。以前に書いた久慈似内神社の狛犬や、母校近くの天神さんの狛犬もかなり個性的でユーモラス・・・・。ここの狛犬はファンが多いらしく世に珍しい狛犬のフィギュア(南部鉄製・釜定工房)まで作られるほどで、私も欲しいなあと思っていたものの今回は手に入れずに帰ってきました。

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石川啄木が学校をさぼってここまでやってきて詠んだ歌です。

夏木立 中の社の石馬も

汗する日なり 君をゆめみむ

松の風 夜昼ひびきぬ

人訪はぬ 山の祠の 石馬の耳に

石馬というのはこの天神様の狛犬のことで、啄木独特の表現です。

 

  

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天神さんには撫で牛もいます。私はかわいい「撫で牛」も大好きです。

この天神さんの撫で牛は石が古すぎるのか、あまり撫でられないのか、ツルツル感に乏しかったです(笑)。やっぱり頭を一番に撫でる私です。もう、遅いって!

この撫で牛の背の向こう側にチラッと見えるのが啄木望郷の碑へ下る道です。この天神さん自体が一つの小山みたいになっていて、盛岡市街を見渡す展望ポイントのひとつです。ちなみに岩山や立原道造の詩碑のある愛宕山などの眺めの良い場所もよく走っていたものです、ゼェゼェ!!(笑)。

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この日は新校舎となった母校へ久しぶりに行ってみたのですが、ウチの学校の事務長さんのタイプって本当に世話好きで愛想がよくって・・・・イイ人です。この日会った後輩たちも年齢からいえば娘と言えるコたちで可愛かった・・・・私も当時はこんな風に先輩方に思われていたのかな~?

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帰省するたびに主に中津川周辺の風景をここで紹介していますが、このあたりは盛岡城下の雰囲気が最も濃く残っている場所で、今もそういう街並みが市民にも愛されています。

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上の橋際の丸竹茶屋は素朴な和菓子とお茶でほっこりできる場所です。軒の低い昔ながらの商家造りの店内は程よい暗さで、丸太を切ったテーブルと椅子の席で、南部鉄器などの民芸品の飾られた窓越しに狭い通りを行き来する車を眺めながら一服しました。

売っている和菓子にしても適正な価格で地元市民がおもな購買層であるところを見ると観光客目当てではないことがわかります。

この丸竹茶屋の並びにあるのが盛岡正食普及会の土蔵風の古い建物です。

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名前が厳めしいのですが、店舗に入ると岩手産の穀類で作られたパンや焼き菓子などが売られています。

「地産地消」とか「マクロビオティック」とかのキーワードで表わせるお店です。パンの味はペストリーなどバターをたっぷり使ったものに慣れてしまった舌には、ちょっと無骨な味わい・・・・給食のコッペパンを思い出すようなそんな味?

建物はもともとは繊維問屋の老舗「井弥商店」の明治時代の土蔵だそうです。

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善知鳥(うとう)神社~8月5日

大昔、青森市がまだ一面の葦原であったころ、善知鳥大納言安方という貴人が都からここに流されてきた。安方はある天皇のお叱りを受けて、その子は遠く南の果てに、父は北へ配流されたのであった。安方はこの海辺の大沼(安潟)のほとりに住んで歳月を送ったが、とうとう許される日もなく病死した。村人たちは哀れんでねんごろに葬った。やがてその墓のあたりに今まで見たこともない鳥が飛んできて、夜も昼も悲しそうに鳴いた。その泣き声は、親鳥が「うとう」と呼ぶと子鳥が「やすかた」と答えるよう聞こえたという。村人は、安方父子の一念がこの鳥になったのだと同情のあまりお堂を建ててその霊を慰めたのが今の善知鳥神社であるという。(青森市に伝わる伝説より)

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青森市の最も著名な神社といえばここhttp://www.actv.ne.jp/~utou/だそうです。私は知らずに門前の金魚ねぶたが可愛くてふらふらと迷い込んでしまいました(笑)。地元っ子のお話によるとこの神社の縁起については諸説紛々らしく、その名前のとおり不思議な謎がありそうです。

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あじさいの花がまだ元気に咲いているのが北国らしいです。このお社は港からも近いのですが、いにしえよりこのあたりは海から潟が延びていたらしく、神社内に森閑と静まり返る「うとう沼」がその名残です。いい雰囲気の神社でした。

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地獄の釜の蓋が開く

2008_0716yokohama0004_2 旧日光道の宿場町、千住にある徳川家ゆかりの勝専寺は別名下町のお閻魔様と呼ばれ、盆正月の15日前後に縁日が立ちます。罪人をこらしめる閻魔大王の手下の鬼どもも、年二回はお暇を出され、羽を伸ばしに何処へぞ出かけるのかもしれません。この習わしが薮入りという習慣につながり、奉公人も嫁入りした女性もひと時の息抜きにお里に帰ることが許されました。

閻魔堂の前で線香の煙を身に仰いでいる小学生の女の子。

お寺の所々には徳川家の葵の御紋が見られ、このお寺が幕府からも大切に取り扱われていたのがしのばれます。

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狭い下町の路地に所狭しと並んだ露店には、いつの時代も変わらない子供たちの楽しげな表情がたくさん見られました。

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実家の母に今度の休みは家族で帰れないことを告げると、思いきり落胆しちゃって・・・・私だけは帰るから、と言ってるのに・・・・。

あなたの孫だって、もう、子供じゃないの、社会人なの。いつまでも小中学生のままのような目で孫たちを見ているのだな。どよ~んとした声で電話を切られた・・・・(溜息)。寂しい気持ちはわかるんだけどね・・・・。

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牡丹芳~百花の王に魅せられて

030a花開花落二十日 一城之人皆若狂

花開き花落ちるまでの二十日 都の人みな狂うがごとし

白楽天の漢詩にも詠われた牡丹、春の牡丹よりも小振りですが冬牡丹を上野東照宮に見に行きました。原産は中国の花ですが、冬咲きにするために藁囲いをするのは日本的な風情が漂っています。004a

020a 012a 咲きしより散りはつるまで見しほどに

花のもとにて二十日経にけり

牡丹の花の咲く期間が約二十日間であることから牡丹の花名を伏せて歌い上げたのは藤原忠通です。

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029a首都圏で冬牡丹を楽しめるのは、上野東照宮のぼたん園と、鎌倉鶴岡八幡宮のぼたん園だったような記憶があります。春の牡丹の絢爛豪華さとは趣を異にする、冷気の中に一点の紅を差したような冬牡丹の麗しい花姿にうっとり見とれていた私でした。

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下谷七福神めぐり

010a008a飛行安全の神様、飛不動尊です。最近、しょっちゅうお参りしている気がします(笑)。

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布袋尊、寿永寺ではとても心あたたかい「おもてなし」に会えます。ここで可愛らしい干支のネズミのマスコットを買いました。

弁天様の朝日弁財天、毘沙門天法昌寺と巡って、途中小野照崎神社に寄り道して、繭玉みくじの可愛さに思わず写真をパチリ。

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大黒天の英信寺では昔ながらのコマやケンダマ、羽根突きで遊べるようにと用意されていました。お父さんの方が熱中・・・・(笑)。

そしてキンカンの実と蹲(つくばい)のある風景。

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写真は撮りませんでしたが鶯谷駅前の猥雑な街角にあるのは寿老人の元三島神社、立派な茅の輪に迎えられます。

最後に入谷の鬼子母神、福禄寿様。母性の象徴、ザクロの名残の実が寒風にも負けず梢にしがみついていました。

下谷七福神めぐりの起点はJR鶯谷駅、日比谷線三ノ輪駅・入谷駅が便利です。歩行時間は約2時間ほど。

下谷以外でも各地で昔ながらの七福神めぐりを楽しむ方が増えているようですね。

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湯島天神で菊花を愛でる

秋は菊。愛娘の如く丁寧に丹精に育て上げた菊の花の優雅な美しさ。

今日は湯島の天神様の菊祭りを見に行ってきました。

合格祈願などではお馴染みでしたが、たまにぶらりと立ち寄ってみるものです。

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女坂から参拝しました。

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055 054 056 秋の陽光に照らされていっそう輝く日本の菊花、錦絵のようでした。

湯島天神菊まつりは11月23日(日)まで

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一の酉でした

今年は二の酉(11月23日・金・祝)も良い曜日の巡り合わせです。今日は深夜午前零時の一番太鼓で始まりました。深夜~朝~昼~深夜、多くの人出で賑わい、同じく午前零時で終わります。早くも暮れ!と言った気分です。

004カメラマンがヘタクソ!暗すぎる~・・・・。本当はもっとまばゆくてキンキラキンなんです。

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手締めの拍子も賑々しく粋なハッピのオニイサンたち元気でございます。

Manekineko

福をたくさん招きますわよん♪

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野菊のごとき・・・・

背負子(しょいこ)に盛られた野菊や照葉の秋の彩が、お寺の門脇で人々を温かく迎えてくれます。

心映えの美しいおもてなしです。

月見の寺、谷中の本行寺にて。

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大寺の絢爛豪華な非日常の世界も目の保養になりますが、谷中を歩くとホッとするのは、素朴でさりげなく、普段の暮らしに寄り添うように、小さな寺々が存在しているからかもしれません。

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観光地でもないし、きらびやかな土産物屋さんもありません。すべてにおいて地元住民の生活リズムが基本です。当然のことですが、今のご時世、浮き足立たない姿勢は大切なことだと思います。040

東西めぐりん、バス停三崎坂上。いつも元気に走っていますよ♪

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谷中のネコ。たぶん、飼い猫。霊園のテーブルに寝そべっていました。ちょっとお行儀悪いですか?(笑)

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燃える秋

秋の澄みきった空・・・・瑠璃色・・・・persian blue・・・・めまいがするほど精緻なイスラムのモスクの瑠璃唐草文様。

山本潤子(ハイファイセット)の「燃える秋」という歌のフレーズに

♪空はpersian blue人は別れ遠い旅に出る・・・・♪

というところがあって好きな歌詞でした。

ふと思いついてネットで検索したら、作詞が五木寛之でした。懐かしい・・・・。

燃える秋にはまだすこし早いようですが。

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言問橋たもとにある待乳山聖天(浅草七福神巡りの寺)の本堂の甍越しに見上げた空はイワシ雲・・・・。

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庭の池の楓もまだ色づきません。あと一ヶ月もすればこの錦鯉たちの模様を凌ぐような紅葉を池の水面に映してくれるでしょう。

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聖天さまのトレードマークの「二股大根」と「巾着袋(宝袋)」。大根は健康や夫婦円満、子孫繁栄を表し、巾着袋は財運に恵まれることを表しているのだそうです。福々しいというか、愛嬌も感じられる寺の文様でCI(コーポレートアイデンテティー)として見ても成功しています。地域や他所からの信心も多く集めて愛される聖天さまなのでした。

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西新井大師その2

お大師様と呼ばれるこの五智山遍照院總持寺の広壮な境内には本堂や書院、葬祭殿、宝物殿が渡殿でつながり、美しい景観を見せています。

光明殿脇の枝垂桜と竹林、花の頃はさぞ夢のような美しさと想像します。

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点在する小さな祠にも丁寧に手を合わせてきました。

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この日のお昼は山門前の草団子屋さんで。

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水車が回っているのは中田屋さん。名物草団子の老舗でもあり、割烹料理屋さんでもあります。

いろいろ迷って隣の清水屋さんで昼ごはんを食べました。

お座敷の気楽さからついつい長居しておしゃべりしてしまいました。膝を崩そうしたときに、何気なく太ももに目をやったら、さっき食べた草団子の楊枝が刺さっていてビックリ!とうとう自分の腿に楊枝が刺さっても気付かないほどの不感症になってしまったかと思いましたが、ちょうどズボンの縦の縫い目の隙間から入り込んでしまっただけでした。ホッとしてすぐにマシンガントークショーが復活したのでした。

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草団子だけでなく、手焼煎餅屋さんも多く見かけました。古い店構えと香ばしい煎餅を焼く匂いにしばし立ち止まるのでした。

西新井大師へは東武大師線が最も便利ですが、北千住駅から大師行きのバス便もあります。

以上、初詣は都内有数の人出となる西新井大師でした。

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西新井大師その1

ぜひ一度ゆっくり訪ねて見たかった西新井大師に友人と二人で行ってきました。別名牡丹寺とも呼ばれるほど春の牡丹は見事な美しさだそうです。

待ち合わせ場所で顔を合わせるや否や、お互いに

「やっぱり、アタシたちの普段の行いが良いから、こんなに良いお天気なのよね~」

何ておめでたくてかしましい私たち・・・・。

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「ちょっと見て、なんていい色加減の屋根!」

「ホント!想像以上の大きさの正殿ね。浅草寺も大きいけれど、それ以上ね。」

「お寺の美しさと大きさで驚いたのは京都の東西本願寺を見たとき以来よ。」

「アタシ達ったら、何だかすごく気が大きくなっているわね(笑)」

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正殿にお参りし、本堂の中の伽藍を拝見しました。何と拝観料ナシでお寺の職員さんにもどうぞどうぞと気軽に招き入れられました。

さすがにこの場所ではおしゃべりも控え気味・・・・。

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国宝級の寺宝を多数所蔵している歴史の古い弘法大師ゆかりのお寺。きょう招き入れられた本堂内にも藤原時代の木彫りの仏像や、薬師三尊像など見事な仏像に私たちはただただ見惚れては合掌の連続でした。(国宝などの寺宝はここでは公開されていません)

あちらこちらにさりげなく飾られた野の花の清楚な生け花も素朴な感動を与えてくれました。

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徳川家下屋敷 小梅御殿跡

江戸時代、水戸徳川家の下屋敷で「小梅御殿」と呼ばれていた隅田川沿いの広大な土地が現在は隅田公園となっています。後方にはアサヒビールの例のビルや墨田区役所の超近代的な高層建築が控えているのですが、園内はいたってノンビリした雰囲気です。隅田公園は、川の対岸の浅草側にも同じ名前の公園になっていますが、それぞれを墨田・台東区が運営しています。私は、墨田区のこちらのほうがどちらかと言えば好きです。

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池にはアヒルやカルガモ・・・・。

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この公園に隣接しているのは牛島神社という九世紀に起源が遡るという大変歴史の古いお宮です。

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料理人さんに関係があるのか、包丁を供養する「包丁塚」に牛が・・・・。

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そして赤いあぶちゃんをした優しい顔つきの「撫で牛」は、体の弱いところや痛いところと同じ部分を撫でれば快方に向かうという言い伝えがあります。たくさんの善男善女に撫でられた「撫で牛」の体はどこもぴかぴかに磨かれたように光っています。私はどこを撫でたかというと・・・・やっぱり頭でした(笑)。もう遅いって・・・・。

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隅田川といえば、花見、花見といえば団子に桜餅ですね。季節はずれてしまいましたけど、いつでも食べられるのは言問団子(上の写真)に長命寺の桜餅(下の写真)。この二店とも、隅田公園にほど近く老舗を構えています。

東京メトロ銀座線・都営浅草線・東武線の浅草駅から徒歩7分。

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麻布十番界隈その2

7月7日、七夕の今夜は曇りがちな夜空・・・・牽牛・織女の遠距離恋愛、七夕の一夜の逢瀬は叶ったのでしょうか・・・・。願い事を託した短冊が笹の葉といっしょに揺れる風景もいよいよ夏という感じです。入谷では朝顔市が始まりました。浴衣姿のお嬢さんたちが目立つ季節です。

元麻布の賢祟寺(曹洞宗)は江戸初期に開かれたお寺で、佐賀鍋島藩の菩提寺でもあります。鍋島家初代の藩主の勝茂公以来の立派な墓石が見られます。あの有名な佐賀の化け猫のお話は、戦国時代の佐賀の領主、龍造寺家とその家臣の鍋島家との内紛から派生した怪談です。徳川幕府になり佐賀藩は鍋島家が藩主を勤めることになった際に怪現象が続き、龍造寺家の祟りと恐れられ、その極め付きが化け猫騒動ということ・・・・。お盆が近いからこんな話もしてみました~。ヒュ~~、ドロロロ~~ン、お化け屋敷の雰囲気・・・・(笑)

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港区七福神巡りの一つ大黒天さまです。ここの前の道はその名も大黒坂。境内には桐の古木があり実をつけていました。桐の実は初めて見ました。Photo_5

麻布氷川神社、ここにもクスノキの大木がありました。港区の保存樹木ということです。

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そしてこの界隈で見かけた珍しいハクウンボクの実です。

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神楽坂界隈そぞろ歩き その2

牛込の地名の由来となった豪族牛込氏が勧請した赤城神社に来ました。境内にある樹木で新緑が美しいですね。朴の木でしょうか?葉の形が似ているんですがわかりません。

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やはり牛込氏の菩提寺である光照寺の鐘楼です。視界の開けた坂の上の台地に建つ小さなお寺ですが、歴史は古く文化財にも恵まれて訪れる方も多いようです。辺りは静かな住宅街。光照寺内の松の花がニョキニョキと天を目指して咲き誇っています。

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神楽坂霊園内にはミズキの大木があり、お地蔵様に寄り添うように今が盛りの花時です。

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坂道を登ったり下りたりしながら道筋で出会った草花たちです。三枚の花弁を持ちブライダルベールに似た蔓植物、あちらこちらで見かけました。

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どこに出かけても新緑と花々の歓迎を受けているようで、いい季節だな~としみじみ思います。黄色い花は金魚草?ルピナス?でしょうか。そしてバラも花盛りを迎えています。白いシルクオーガンジーのようなバラの美しさに目を魅かれました。

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中央線、総武線から神田川を眺めていると飯田橋付近で川幅が結構広がります。外堀と神田川が出合う飯田橋駅のたもとにあるカナルカフェは、川岸にせり出したデッキテラスが人気で休日はいつも行列です。

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外堀通りから伸びる神楽坂の登り口付近に日仏学院が出来てから神楽坂もインターナショナルな顔を持つようになりました。上の写真は神楽坂のメインストリートですが、行きかう人々で活気があります。本当の神楽坂の雰囲気を味わうなら、路地裏に入る事ですね。

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路上で売られていたモノたちです。玩具屋さんの店先の懐かしいブリキの自動車。七福神巡りのお寺、神楽坂毘沙門天の門前の露店ではザルがいっぱい売られていました。ザルってなぜだか好きです。

さらに次回へ続きます。

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梅の花と足立姫の伝説

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薄桃色の八重咲きの梅。梅の花は清楚・可憐。

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ここは北区西ヶ原一丁目の無量寺(真言宗豊山派)。六阿弥陀伝説の三番阿弥陀なのだそうである。ある長者夫婦が熊野権現に願掛けしてまで授かった才色兼備の足立姫だったが、悪領主に見初められ、横暴な策を弄されて無理矢理結婚させられてしまった。嫁ぎ先でも意地悪な舅にいびられ通しの姫であった。ようやく里帰りの許しが出て懐かしい両親が待つ家に向う姫だったが、哀れにも世をはかなみ、川に身を投げて死んでしまう。両親は嘆き悲しむ日が続いたが、ある日権現様のお告げにより、山から切り出した美しい木で阿弥陀仏を六体彫り、近在の六つの寺に納めて姫を成仏させたという、たしかそんな哀しい伝説であった。きょう見かけた馥郁とした清楚な梅はこの足立姫の化身だろうか・・・・。

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若かりしころ、駒込に住み、寺の近所にある古河庭園には何度か足を運んだ が、こんなに素敵なお寺があったなんて・・・・。全然、認識がなかった。もっとも、観光寺ならともかく、近所のお寺に興味を持つなんてあの頃はありえなかったし・・・・。この六阿弥陀伝説が残る一帯は探偵浅見光彦のホームグラウンドでもあるらしい。これも認識なかった、アタシがこのあたりをウロチョロしてた頃は浅見光彦シリーズなんてなかったし・・・・(笑)。

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とても手入れが行き届いていて、綺麗なお寺の風情に大満足した私だった。本堂の両側にはなぜかタヌキの置物があってユーモラスなお寺さんであった。

あしたは「女子道一直線」バリバリで(笑)古河庭園の散策を書く予定!(何ということを!○○一直線なんて年代バレバレ~!!)

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二社一寺参拝

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世界遺産に指定される以前だった、日光に足を向けたのは。奈良時代の開基日光山輪王寺、男体山をご神体とする二荒山神社など創建の古い寺社、徳川家を祭る東照宮を二社一寺と総称し、多くの参拝客を集めている。

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二荒山神社そばを流れる渓流と神橋。

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参道

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東照宮五重塔と日光杉並木。

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二荒山神社境内

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紅葉を映す輪王寺・逍遥園の池と紅葉を背負う石燈籠。

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高台の金谷ホテル中庭から日光連山を望む。

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茅の輪くぐり

けがれある わが身なりしも

形代(かたしろ)に

託して流す 

隅田川

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夏越の祓い(なごしのはらい)は1年の半分を過ぎた今頃の行事である。神前に設えられた茅の輪を三回くぐり、形代に落としたい半年間の穢れを託し、真夏の無病息災を祈る。

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寛永寺の黒門

心のよりどころである、お寺さんが戦闘の場所になるなんて。

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幕末、幕府軍(彰義隊)が上野寛永寺にたてこもり、官軍と激しい戦闘の後、多くの戦死者を出した。寛永寺も広大な伽藍の多くを焼失し、往時の面影を忍ぶ術もない。当時の惨状に胸を痛めた、三ノ輪の円通寺の和尚が彰義隊士の亡骸を手厚く葬った縁で、寛永寺の象徴「黒門」を下賜される。雨あられとなって寺を襲う銃弾の様子が目に浮かび、夥しい数の弾痕に心が寒くなる。江戸城の無血開城と歴史には残るが、東大構内から不忍池、上野広小路あたりまでを含む一帯、上野の山の激しい戦闘と多くの犠牲を出しながらも、まだこの後の会津戦争~函館戦争と空しい戦いは続いた。

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お寺さん

実家は盛岡市玉山区にある曹洞宗宝徳寺の檀家です。つい最近盛岡市に合併された地域にあり、総本山は神奈川県横浜市の鶴見区にある総持寺で、時々檀家衆が揃ってはるばる横浜までお参りに行っています。

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石川啄木の父が住職を勤めた時期があり、彼は多感な少年期をこの寺で過ごしたそうです。拠所ない事情で住職の座を追われた父一禎とその家族はその後の苦難の人生を歩む事になったのは、ご存知の方も多いでしょうね。本堂はつい最近建て替えられ、以前あった啄木の勉強部屋はなくなってしまいました。しかし「・・・・お寺のヒバの木に来て泣きし閑古鳥」(だっけ?忘れた!)と歌ったヒバの木は写真左手に写っています。この近くには啄木記念館など観光施設もあり、寺の前から眺める岩手山もご覧の通り美しい姿です。啄木代用教員時代の大家さんである斎藤家の子孫のお嬢さんが同窓生にいまして、泊りがけで遊びに行った事もありました。法事がある度訪れる寺です。

実家は一族の中で起きた揉め事が元で、明治時代から宝徳寺の檀家となったそうです。明治初期、私のひいひいひい(・・・くらい。もう、わかんない!)爺さんはその揉め事の被害者であったものの、喧嘩両成敗という事で、もう一方の当事者である同族のものと一緒に元のお寺さんを破門され、現在の宝徳寺の檀家となったそうです。そこの家とはいまだ犬猿の仲(犬神家みたい・・・・)なんですね。ずっと子供の頃から、親しく行き来する本家を始めとする親類の中でどうしてウチだけが、ぽ~んと離れた場所に菩提寺があるんだろうと思っていましたが、そんな事情があったんですね。

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墓所は3箇所あり、一番古い江戸時代のものは、野仏として崖沿いの道筋にあります。墓碑銘は長年の風雪にさらされ、嘉永・安政年間の文字が何とか読めるくらいの古さです。風化の激しい古いお墓ですが、お盆にはきちんと盆棚を作り、大切に供養しています。野に生き、野に死し、時の彼方へ消えた人々を偲ぶ春の一日でした。

蒲公英のよりそう野仏 

のどかなる春の日ざしにほほ笑むなり

付注:お墓の写真を載せるにつきましては若干躊躇するものがありましたが、もしこのお墓の写真をご覧になり、ご不快感をお持ちになる方がおりましたら、ご遠慮なくコメントでもメールでもご指摘願います。私には遠すぎるご先祖さまゆえ、道端のお地蔵様や供養塔を見るのと同じ気持ちでいつも拝しておりますので平気なのですが、もし、ご不快感を持たれる方が多いようでしたら削除いたします。

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狛犬マニア

わたしの町歩きには、神社仏閣巡りははずせません。いろいろな見所がありますが、最近の注目ポイントは「狛犬」です。狛犬の起源については諸説紛々あるのですが、遠くエジプトのスフィンクスに遡るという話を知ってからは、狛犬のまわりをぐるぐる。神仏習合時代の名残もあり、お寺に狛犬がいる例もあるそうで興味は尽きません。スフィンクスもあながち遠からじと思わせたのは、足立区千住河原町の河原稲荷の立派な狛犬です。これはサイドバーのマイフォトに収めているので改めてはアップしませんが、足元の造形がなんとなくスフィンクスを思わせて面白いです。

他にもマイフォトには上野下谷稲荷、汐入胡録神社の狛犬をアップしております。唐獅子そのもので正統派とも言えるスタイルですね。しかし、そもそもこの狛犬に限って見れば正統派というのはないのではと思います。狛犬を集めたサイトhttp://komainu.net/を見ても実に全国各地様々な表情を持つ狛犬に出会います。また、実物を見たわけではないのですが、岩手日報社刊「いわて旅街道」の中の狛犬には_073激しい笑撃?!をくらいました。

誌面から転写したので見辛い点をお許しください。右の写真、これは本当に狛犬ですか?!・・・・。作者は何を見て制作したんでしょうか、何か違う物を見ていたとしか思えない狛犬像です。

これは岩手県久慈市似内神社に鎮座する狛犬です。エジプトのスフィンクス→中国の唐獅子とはるか遠く時を越えて、極東の島国の北の岩手県では「歯並びのよい狛犬」になります。(違うって・・・・爆笑)

誰かこの傑作を上回る狛犬の写真を持っている方がいたら、トラックバックお待ちしております。

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下町ぶらぶら

_007ここは台東区と荒川区の境目、吉原近くに建つ三ノ輪・浄閑寺です。安政の大地震の際に吉原の多くの女郎らが葬られ、その後も病死、横死、災害が起きるたびに引き取り手のない亡骸が運びこまれたことからいつしか「投込み寺」と呼ばれるようになったそうです。江戸~大正期の吉原女郎衆の悲劇を包んで静かにたたづむこの寺ですが、現在改築中で青テントが寒風にはためいていました。文豪永井荷風もその哀話を心から悼み、足繁く通い続けた寺であります。遺言では、女郎たちのささやかな墓石の間に自分の卒塔婆を建ててくれと書き残したそうですが、荷風たる一大文豪を葬るには・・・・という意思が働いたのか、実際の墓は別の寺院となりました。しかし、その荷風の女郎たちに向ける優しい遺志を酌み、後年、「今の世の若き人々~」に始まる詩碑が建立されました。江戸~明治の下町の大衆文化を愛した荷風の心が偲ばれるものです。

_005門前に立つ女性らしい優しさを漂わせたお地蔵様、手向ける花がいつも切れません。

生まれては苦界、死しては浄閑寺

生きるため、家族のため、身を売る事しか許されず、言葉も残さず消えていった命・・・・。女として女を哀しむには胸に迫るものは半端なものではありません。

この日はマロを連れての散歩でした。近くには樋口一葉の生家もありますが、マロがお座りしたまま動かなくなり、そちらは断念いたしました。帰り道は抱っこでした(笑)。

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