平庭高原

平庭高原の暮れゆく白樺林。

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夢はいつもかへっていった
山のふもとのちいさな村に
水引草に風がたち
草ひばりのうたひやまない
しずまりかへった
昼さがりの林道を

「のちのおもひに」より 詩・立原道造


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ひと気もまばらな山あいの小屋に住み、春になれば畑を耕し、山を歩いて山菜を採る。夏になれば、川で魚を釣り、山の実をもぎ、丈の高い草を刈り、干して績んで糸を紡いで織物にする。秋は豊穣を産みだす大地に負けじとひたすら働き、その恵みと沈む夕陽に感謝しつつ一日を終える。冬、蒼碧の空と純白の大地、きっぱりとした色彩の風景の中で春をじっと待ちかまえる。私のことだ、子どもは5~6人は産んでいる、きっと。毎日ご飯の支度と洗濯と掃除で終わってしまうだろう。こんな風景の中を移動していると、いつもそんな妄想に捕われてしまう自分が可笑しくなる。

春に上海でセガレに会ったときに、娘と突っ込んだこと、それは、「ちょっとメタボ、ヤバくない?」(笑)。本人も言われると思っていたのか、「学校と寮の行き来だけで運動不足かも・・・・」と言い訳していた。ちょっと顔も丸くなりそうで、ちょっと待てよ、と。今さらながら、食事の注意とか、スポーツクラブを勧めてみたりして。その後も送るメールには必ずそのあたりをちくちく(笑)やるもんだから、しまいには定期健診の結果まで報告するセガレ。先週帰ってきたのだが、すこし効果が表れているかな~。

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素質あり?

あ~、追いつかない!(笑)。ここまで予約投稿などで書き貯めたりしてごまかしていたのに、それも間に合わなくなっています。夏休み後のたまった仕事を片付けていたり、夫の盆休みに合わせて息子が一時帰国したりして、段取りを上手にとれない私は超アップアップ。なのに明日以降は組合の日帰り旅行やお茶のおけいこ、来週は観能、食事会。年休、公休、振休・・・・あの手この手で・・・・。

もう、自分のバカ~!!!(笑)

気を取り直して・・・・まだまだしつこく旅行記は続きます。

やっぱり撮ってしまった、列車や駅や線路の写真・・・・鉄子の素質あり?(笑)

2008_0806_0113 津軽海峡を越える寝台特急カシオペア。函館のイカ、食べたいです~(笑)。

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上の2枚とも八戸~久慈~宮古間を走る「三陸しおさい号」、レトロな車両は4人掛けの席にゆったりしたテーブルが据えられています。風景の良い場所を走る列車は乗っているだけで旅気分を満喫できます。

Photo IGRいわて銀河鉄道の車窓から眺めた小繋付近の馬渕川。

 

同じくIGR小鳥谷(こずや)駅。名前が可愛いでしょう。

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やませ

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古代の樹木が気の遠くなるほどの年月の中でまろやかな飴色に結晶した琥珀が眠る北上山系北部。山並の果てまで見渡しても人里らしい影は山懐に隠れて見つけることは容易ではありません。太古から自然の輪廻が繰り返されてきたのは人間を寄せ付けない厳しい自然がここにはあったからでしょう。

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「日本のチベット」と呼ばれた北上山地、夏にやませが吹くと凶作・飢饉を引き起こし、耕地の少ない山襞で細々と暮らす農民たちを苦しめてきました。その農民たちの囲炉裏端などでの会話を聞き書きで写し取った岩波新書の「ものいわぬ農民」。

編集したのは大牟羅良さん。岩手県農村文化懇談会の発足時からのメンバーで、終戦直後の戦争の傷跡の残る岩手県内の農村を丹念に歩き回り、岩手の農村にまつわる著書を出しておられます。

大牟羅氏は「山峡の歌人」と呼ばれた西塔幸子さんの実弟です。西塔さんも県北の寒村の小学校で教鞭をとられていました。教え子のほとんどが農家の子供たちという環境の中で、その子供たちを通して垣間見た厳しい生活に耐える農民を思いやる優しい歌を多数残されています。もうこのお二人はあちらの世界に旅立たれていますが、このお二人の存在を知ったとき、私はまるで川底の輝石をすくい上げたような気持になりました。手軽な情報をつなぎ合わせたような一過的な興味を引く書籍にあふれる今の世の中にあって、このお二人の作品が後世にずっと残ってゆくことを願っています。

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夏のきらめきに包まれる~8月6日

2008_0806_01432008_0806_0145_2友人の暮らす久慈の街は訪れたその日が七夕祭り。短い夏を惜しむような七夕飾りの下を通り過ぎる人々、露店に群がる子供たちの歓声・・・・。小さな町の見知らぬ人々のささやかな生活の喜び、どこにでもあるけれど失われることがないよう穏やかな平和が続くようにと、こんな私でも思ってしまうほど。

2008_0806_0135_2 「道の駅・久慈」風の館には三階までの高さもあろうかという大きな山車が飾られていました。久慈市諏訪神社大祭りで引かれるそうです。

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見晴らしの良い巽山公園、港の方角を見るとアーバンホール、コンサートなどが開かれるようです。静かな木立に囲まれる巽山稲荷神社。この公園内には柔道の発展に貢献した三船十段の記念碑も建っています。久慈市の名誉市民第一号で市内には記念館もあるそうです。オリンピックで男子柔道金メダルを獲得していますね。他の選手の方々も頑張ってほしいものです。

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2008_0806_0134_3 旅の途中で携帯からも送信したのですが「道の駅・久慈」の中の山海里のこのランチのセットはおいしくてこれで1000円!でした。友人は豚丼、おいしそう。他のメニューにも挑戦したかったけど時間の都合で断念、残念!(笑)

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潮風に吹かれると思い出す♪

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南沙織の♪潮風のメロディなんですが、歌の上手下手はこの際置いとくことにして(笑)、私にとっての夏のスタンダードな曲です。この歌からイメージする海は騒がしい湘南海岸などではなくて、人影の少ないきれいな砂浜に波が静かに押し寄せているそんな感じです。八戸からJRで南下しながら眺めた北部陸中海岸の風景が思いのほか透明感と明るさに彩られていて何となく「潮風のメロディ」でした(笑)。南沙織の歌では「17歳」は恋も夏もまっただ中のはずむ感じでしたけど、私は夏の終わりにさしかかり、恋の終わりを暗示しているような「潮風のメロディ」の方が好きだったな。あまり、旅行に関係ない話でしたか・・・・(笑)。

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2008_0806yokohama0118久慈市付近の海はリアス式海岸の北縁になり、北上山地が荒々しく海に落ち込む複雑な入り江の海岸線が段々に消えて、なだらかな弧を描く静かな砂浜の風景に和みが感じられます。海の水はどこまでも空の青を映して澄み切っています。

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金木町・斜陽館~8月6日

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太宰治の生家、金木町の斜陽館にやってきました。私の読書歴は太宰治の作品は縁遠く、読書家だった叔父の本棚にも一冊もなかったのが今思うと不思議な感じがします。学生時代、太宰の小説にかぶれた友人が多かったにも関わらず、とうとうこの年まで疎遠なままきてしまいました。高校時代の現代国語の先生が何となく太宰治に似ていたな~なんて思いだす程度でした。

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津軽の銀行業も営むような飛びぬけて裕福な素封家に生まれた太宰治は、小説「津軽」では父の建てたこの家を冷めた目で書いています。

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すべてにおいて選ばれた人間であった太宰のこの世に生きることの苦しみを理解するにはあまりに凡庸すぎる私です。

農家と商家の違いや規模の大小はありますが、子供のころ私が育った家の造りに似ていて、調度類の雰囲気もそっくりです。ひんやりとした木の床の感触にも懐かしさを感じた斜陽館でした。

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ねぶた~8月5日

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青森駅からまっすぐ延びる新町通り、ねぶたが練り歩くコースには観覧席が作られて祭りの準備を整える人々がせわしなく行き来しています。私はホテルに入りすこし休んだあと、青森港を眼下に見下ろす部屋で、津軽半島の彼方に沈む夕日を飽きずに眺めていました。日没後、ふたたび新町通りに向かい、初めて見るねぶた祭りの熱気に包まれました。

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長バチで狂わんばかりに叩く大太鼓の後に囃子方が続きます。そして「ハネト」と呼ばれる人々が「ラッセラー、ラッセラー・・・・」の掛け声に合わせて、独特のステップで激しく跳ねながら通り過ぎていくと、灯りの入ったねぶたがその後に続きます。

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このねぶたは沿道を通り過ぎるだけでなく、山車の下の引き方が観客の前でねぶたを荒々しく回転させてみたり、傾けて見せたり、躍動感にあふれるねぶたを演出することにより、審査の点数が決まるようです。

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沿道の各スポットに配置された審査員がチェックしていて、ねぶたの場合、通りの建物や街頭にぶつかると減点されたりするそうです。「ぶつかってナンボ」の「岸和田だんじり」もありますが(笑)。

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この夏祭りは来る秋の豊穣の実りを祈願し、そのあとの長く厳しい冬を迎えるために、津軽の人々になくてはならないものなのでしょう。男も女も老いも若きも一瞬の夏に激しく燃え尽きてゆきます。

しばし熱気に酔ったあと、「竹林坊」という店で食事をしました。ご案内いただいた方のお話では、青森で屈指の割烹、雰囲気も出された料理も大変よく満足しました。その後は、とあるバーに紛れ込んで地元の女の子と話がはずみ、あっという間に時間が経ち、名残惜しく部屋に戻ったねぶた祭りの夜でした。

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善知鳥(うとう)神社~8月5日

大昔、青森市がまだ一面の葦原であったころ、善知鳥大納言安方という貴人が都からここに流されてきた。安方はある天皇のお叱りを受けて、その子は遠く南の果てに、父は北へ配流されたのであった。安方はこの海辺の大沼(安潟)のほとりに住んで歳月を送ったが、とうとう許される日もなく病死した。村人たちは哀れんでねんごろに葬った。やがてその墓のあたりに今まで見たこともない鳥が飛んできて、夜も昼も悲しそうに鳴いた。その泣き声は、親鳥が「うとう」と呼ぶと子鳥が「やすかた」と答えるよう聞こえたという。村人は、安方父子の一念がこの鳥になったのだと同情のあまりお堂を建ててその霊を慰めたのが今の善知鳥神社であるという。(青森市に伝わる伝説より)

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青森市の最も著名な神社といえばここhttp://www.actv.ne.jp/~utou/だそうです。私は知らずに門前の金魚ねぶたが可愛くてふらふらと迷い込んでしまいました(笑)。地元っ子のお話によるとこの神社の縁起については諸説紛々らしく、その名前のとおり不思議な謎がありそうです。

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あじさいの花がまだ元気に咲いているのが北国らしいです。このお社は港からも近いのですが、いにしえよりこのあたりは海から潟が延びていたらしく、神社内に森閑と静まり返る「うとう沼」がその名残です。いい雰囲気の神社でした。

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青森港そして県立郷土館~8月5日

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昼過ぎに青森駅に到着し、ホテルのチェックインまでの間に付近を散歩しました。青森港に停泊しているのは廃止された青函連絡船の中のひとつ「八甲田丸」。入船料はかかりますが、船内を見学できるそうです。

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アスパムという物産館とともに青森港のシンボルとなっているのはベイブリッジ。本州の北の玄関口である港、なかなか綺麗にまとまっている印象を受けました。橋の向こうに見えるのは下北半島です。今は青函トンネルで一気に北海道へ渡れますが、連絡船の津軽海峡越えの旅の情趣もまた格別なものがありました。

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青森県立郷土館http://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/culture/kyodokan.htmlにやってきました。青森は三内丸山古墳群などの発掘で一躍古代史ブームが巻き起こった場所、縄文文化の花開いた北の大地です。ここには三内丸山古墳や近郊の遺跡から出土した縄文土器や、不思議な風貌の遮光器土偶、木に顔料を施した鮮やかな器などが展示されています。また先史時代から本州アイヌが住み着いた場所でもあります。津軽地方に伝わるこぎん刺しなどの伝統工芸の文様などにもその名残が残っています。そして郷土の農文化にまつわる様々な展示品に目を引かれるものがあります。

青森を背負って立つ先人たちの肖像群の中では、寺山修二と沢田教一のあまり知られていないエピソードに興味を持ちました。青森高校の同級生だった二人ですが、撮影中に狙撃され命を落とした沢田に向けた寺山の追悼風の詩の肉筆原稿と、沢田が撮った戦場での兵士・民間人の区別なく命の瀬戸際に立つ人々の凄愴な表情には言葉を失くして立ち尽くすしかありませんでした。

ここで結構時間をつぶすことができました。臨時開催の「団塊世代の青春展」というものも見てきました。最近この手の展示が各地で増えているようで、やっぱりみんな昔の思い出にひたりたいのでしょうか・・・・。

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夏・・・・2008年の。

長期の一人旅になった今回の里帰り。羽を伸ばさせてもらいました。夫には大・大・大感謝です。19の年から始まった夏の里帰り、毎年毎年違う夏。思いでは静かに積み重なってゆきます。また明日からの日常を淡々と過ごしてゆくことでしょう。

8月4日夜、盛岡到着後、さんさ踊り(最終日)を見学。5日、朝から近所回り。昼前に青森に向けて出発。夜はねぶた。6日、金木町の斜陽館へ。そして岩手・久慈へ。北上山地をバスで山越え、実家に戻りました。7日朝はお墓の草取り。古い母屋を荒らしたり・・・・(笑)8日は朝から近くの温泉に出かけてのんびりしたあと、市街へ出て母校に立ち寄りました。本当にたくさんの人にお世話になり、楽しい思いをさせてもらって感謝です。今度は私がお返しをする番ですね~(笑)。旅の模様はこれから何日かかけてゆっくり書いてゆきますが、何枚か写真をここで載せておきます。どこだかわかる人がいたら、す、すごい!!!(笑)

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墓どごの草取りだす

墓どこの草取りだす
母と涼しい内に…と思ったけど…暑い〜

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携帯から

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ライトアップされた開運橋

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おしらさま~絹の道筋をたどって

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タイトルの「おしらさま」とは私のふるさとでは蚕を守る神様と言われている。養蚕を生業とする家では守り神として篤く信仰を集める神様である。蚕は桑の葉を食べた後、口から柔らかく透き通る美しい糸を吐いて繭を作るとその中で羽化を静かに待つ。古来、その繭の命を頂いて絹糸を作り、身にまとう美しい衣を織り続けてきた女たちにとって「おしらさま」は女性そのものを守る神様でもあったらしい。農閑期、普段は神棚の奥にいる家々のおしらさまを明るい居間に出しお供えをして、近隣の女性たちが宴を楽しむ「おしら遊ばせ」という行事があるそうだ。過酷な農作業の合間、さらに絹に携わる女性をひととき解放させる年中行事である。

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絹の文化を伝えたのは中国から渡ってきた秦氏一族であり、西陣の地を揺籃として、日本全国に散ってゆき、養蚕や製糸、染色、そして織物の技術を含む絹文化が各地方に花開くことになる。これらの源はすべて中国の蘇州であり、この春の旅行で訪れた際に私の目に触れたものがなぜか皆懐かしく感じたのはそのせいであるかもしれない。

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今、人間国宝の志村ふくみさんの著書を一通り読んでいる最中で、志村さんと感性を一にするなど大変おこがましいとは重々承知ではあるが、この方の著書は私の眠っていたある部分を大いに刺激して止まない。中国からペルシャへの絹の道筋を彼女は「たまゆらの道」と表現している。たまゆら、とは光と光が煌めき交差するさま・・・・。

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蘇州で作られるペルシャ絨毯の華やかな模様を思い出す。古代から流入する異文化を丸ごと抱きこみ、その地に生かす中国の懐の深さに感嘆したものだ。息子が言うには、海のシルクロードの起点ともなった杭州や福建にはイスラムの古いモスクがあり、イスラム系民族が住みついて長いらしい。春の旅では蘇州をめぐるのが精一杯だったが、また出かける機会があったら、今度はそのあたりを訪問したいと考えている。

それにしても、志村さんの生きざまはやはり凡人には計り知れない起伏に富んだものである。芝木好子さんのエッセイを読んでいるうちに、小倉遊亀さん、志村ふくみさんという二人の芸術家にふたたび出会えたことは私にとっての一期一会だった。

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食べること

今回の旅はほとんど食べ物が目的だったかもしれません。観光地の物産品については近年いろいろなトラブルが続き、業界もなかなか厳しい状況になってきているようです。このあたりは大消費地の首都圏に近いせいもあり、一地方の物産品に止まらず、メジャーレーベルとして私たちになじんでいるものが結構たくさんあります。

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神奈川、小田原の高級かまぼこの代名詞、「鈴廣」です。魚のすりみをこねて焼いています。おいしそうですね!出来たての揚げかまぼこをお土産に買って帰り、おいしく頂きました。

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山本食品の三島わさび漬けの工場を見てきました。わさびソフトクリーム、歩きまわってほてった体に冷たさがおいしくシミました。

わさび漬けと新鮮なかまぼこ・・・・出合い物、その地で生まれた食べ物の取り合わせがやっぱり舌にも合うんですね。昔はわさびを下ろすのにサメの皮が使われたそうです。展示されていたサメ皮を手で触ってみたら、本当に目の細かい下ろし金のようでした。

それから沼津に来たら生鮨ですね~。今回もたらふく食べてきました。沼津外港周辺にはおいしいトレトレの魚が豊富で楽しめます。

江間のイチゴ農園でイチゴ狩り・・・・まるでイチゴの品評会ですね(笑)。子供みたいにみんなでイチゴの大きさを競い合っています。もちろん食べることもわすれません。友人が撮ってくれた写真なんですが私の背後にいる女性、なぜか?しっかりカメラ目線でイチゴを今まさに口に入れようとしている写真、かなり笑えました。「だ、誰?このヒト?!」全然知らない人です(笑)

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柿田川の清流に憩う

富士山の山肌が吸いこんだ雨水や雪解水が地中を潜り抜け清冽な湧水になるのが柿田川です。私は沼津には深い地縁があり20代の時から、仕事・プライベートで何度も訪れた場所ですが、柿田川は行ったことがありませんでした。初めて訪れて自然の営みやその恵みにとても心酔しました。

沼津市清水町にあるこの柿田川公園は、天然の良水に恵まれて、園内に生い茂る様々な樹木も生き生きとした精気が感じられました。

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ヤドリギを抱いた楡の大木、木霊が棲むような神聖な雰囲気です。


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木々の間を縫って川辺の近くまで下りてみました。


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東洋一の伏流水と呼ばれるこの清流が100年たっても200年たってもそのままであるといいですね。「今」、身近な努力を惜しまない近隣住民や沼津市民によって、この貴重な素晴らしい自然を見せていただけることに心から感謝をいたします。

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清流に揺れるバイカモ(梅花藻)です。

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旧岩崎家別邸

友人4人と箱根~沼津方面へ出かけました。気づいている人もいますでしょうが、私は仲間内でも恐れられるほどの雨女です。昨日も朝から強い雨足にため息をつきながら家を出ました。でも徐々に晴れ間が広がって、箱根旧街道に差しかかったころは雨に洗われたあとのむせかえるような新緑の匂いに包まれました。富士山は残念ながら顔を出しませんでしたが、ツツジ、シャクナゲ、フジなど花々を巡る旅を満喫しました。

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元は三菱財閥岩崎家の箱根別邸だった瀟洒な洋館が今は「山のホテル」として営業しています。

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プライベートビーチならぬプライベートレイクともいうべきでしょうか。湖畔の風景を独占するかのような眺めに在りし日の財閥の豊かな暮らしを彷彿とさせるものがあります。

今は庭園内のツツジやシャクナゲ、そしてバラなどの花々を求めて人々が気軽に訪れる場所になりました。

これまた美しい友人たちと(笑)、花を囲んで撮影会となりました。

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箱根〜山のホテル

箱根〜山のホテル
新緑とシャクナゲとツツジに包まれています。

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最後の夜は雑技団

旅日記もそろそろ終わりとしましょうか。
最後の夜に上海雑技団を見て盛り上がりました。
サーカスって本当にワクワク、大人でもその世界に引き込まれますね。
まだ10代なかばくらいの少年たちの演技に「頑張っている君たち、エライ!」と拍手しまくりでした。


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息を呑む演技が連続し、2時間あっという間に終わりました。

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皿回し、棒に皿がくっ付いているようにしか見えません。これからお花見の宴席という方々、宴会芸に皿回しいかがですか?(笑)


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こうして上海の最後の夜は更けてゆきました。名残惜しさを感じつつもまた近いうちにくるかもしれない期待感を抱いて、翌日、楽しい旅を終え、無事に日本への帰国の途につきました。

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これも食べたい、あれも食べたい

2008_0328_0017中国は粉食の国です。豪華な中華料理とは縁がなかった今回の旅でしたが、美味しいものにはたくさん出会えました。

中国は薬膳と言って、漢方薬にもなるようなスパイスを幅広く使用して独特の味わいがあります。このスパイスの味にずいぶんとこの旅でなじんだような気がします。

上は具沢山のビーフン入りスープ。さっぱりした味が意外でした。

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今ちょっとしたブームになっている黒米のほんのり甘い味が中国風おはぎのよう。

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これはごく普通の蘇州の家庭料理だそうですが、とんでもない量が出て驚きました。セロリは好きなのでバリバリ食べましたけれど、ほとんど食べきれず残してしまいました。

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これはナッツをたくさん使った焼き飯です。チャーハンのように全体炒めるのではなく、鉄板にご飯を乗せて、ナッツや薬味野菜、鶏肉を独特のソースで炒めたものを熱々の内にご飯に回しかけたもの。これが一番美味しかったです。スイカのジュースと一緒に食べたけど、何となく東南アジア風だったかな~?

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前に書いたショウロンポーの美味しいお店。焼きたての美味しそうな匂いが立ち込めていました。行列して食べものにありつくというのはのは久しぶりのことでした。

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こちらはラム肉の串焼きをやいているところ。カリカリに炭火で焼くとラム特有のしつこさがすこし消えるみたいです。

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コックさんもお腹がすくようです(笑)。

裏通りに出したテーブルで食事中。

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いろいろな立ち食いのお店が並んでいます。

1品10元を越えるものはまず見られません。とにかく安い上海のファーストフード。

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観光客が普通は来ない裏通りのお店をたくさんのぞけて面白かったです。もしまた行く機会があったら、今度は違うものを食べてみようと思います。

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上海点景~豫園は中国の浅草だった

上海は200年ほど前は鄙びた漁村だったそうです。近代的都市として発達してきましたが、古代から政治・文化の中心は周辺の蘇州・杭州などでした。古いものをたっぷりと見た翌日、上海に来た人は必ず立ち寄るという「豫園」に出かけました。

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2008_03280207この豫園は敷地は大変狭いのですが、迷路のように入り組んだ路地に小景を組み込んで、変化に富んだ景観を見せてくれます。

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どの場所から眺めても一つとして同じ景色はなく造園の技の素晴らしさに酔えます。

豫園の外に出るといつも大変な賑わいです。

「豫園商城」といって、土産物屋さん、お食事処などが軒をひしめき合って並んでいます。

そうです、ここは東京で言えばまさに浅草の仲見世の賑わいにうり二つでした。

諸外国からのツアー客が列をなして狭い道を歩く姿も、普段似たような風景を見ているので、何となく親近感を覚えました。

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ここで軽食を取っていた私たちでしたが、テーブルの横にカードに何やら中国語を書いてパウチしたカードを見せ動かない男性が・・・・。最初は無視していたのですが、息子がおもむろに財布の中から1元硬貨を2枚出して渡したところ、ようやく立ち去ってくれました。息子は面倒だし、取り締まる警官もいないし、と言うことで、困ったことですね。

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上海点景その3

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夜の上海駅周辺です。朝早くから夜遅くまで構内アナウンスと人々のざわめきの止む間がありません。

近郊からでしょうか?みかんを行商している人。私も普段最寄の駅で千葉県から来る行商のおばさんから新鮮な野菜を買ったりすることがあります。この行商のスタイルって何だかいいですね。

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息子を先頭に歩く上海の街、時々、息子と娘が後ろを振り向くのでつられて私も振り向くと、「どこ見てるんだよ、ちゃんとついて来いよ~」って、方向音痴の母の面倒はたいへんでしょう(笑)。

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公衆電話ボックスは赤、郵便ポストは緑でした。

こんなのをきょろきょろ探しながら歩く私はかなり挙動不審なおばさんです。

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蘇州寒山寺~山塘街~盤門へ

080328_153901落ち烏ないて霜天に満つ

江楓漁火愁眠に対す

姑蘇城外の寒山寺

夜半の鐘声客船に至る

寒山寺は唐代の詩人張継の「楓橋夜泊」に詠まれた寺として有名です。この寺の鐘の音を聴くと10歳若返るという言い伝えがあります。大変よい音色でした。寒山・拾得(かんざん・じゅっとく)という古い時代の人にちなんだお寺で、創建は古く6世紀なかば。日本にもやはり所縁があるらしく、この寺の鐘は日本から贈られたものといいます。

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2008_03280130お線香を焚いた煙を浴びる人々の姿も、仏様に一心不乱に祈る若者の姿にも、善男善女の心映えを感じました。

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Ts3a0184_2Ts3a0172b_3「東洋のヴェニス」とマルコポーロに言わせた、運河の街、山塘街にやってきました。

蘇州は北京と杭州をつなぐ運河、京杭大運河の途中に栄えた地域ですが、その大運河からも細い水路が街の至るところに入りこんで古代から人・物の往来が活発でした。

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家々の間には水路に下りる階段があり、そこに舟をつけられるようになっています。私たちもこの水路から京杭大運河に抜けて古城・盤門までの川下りを楽しみました。

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この橋の形が蘇州名物の石橋です。

両岸には名前がわからないけれど珍しい建物がいっぱい。

雨がぱらつき始めたころ、この日の最終目的地、盤門古城に到着しました。

戦のための攻守の仕掛けがあちこちに見られる貴重な史跡だそうです。

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蘇州の旅でしたが、私の興味のあるものや好きなものにたくさん出会えて幸せでした。何気なく蘇州に行ってみようと思ったのですが、今思うと引き寄せられた感じもいたします。

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蘇州めぐり~シルクの街

2008_03280121これは繭玉。桑の葉を食べて絹の糸を吐ききった蚕が中に入っています。水でふやかしています。

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この繭から細くてしなやかで美しい絹糸ができるのです。写真ではわかり辛いのですが製糸機で下の繭から上の糸巻きにつやつやの絹糸が巻き取られています。

蘇州はシルクロードのまさに基点でした。ここの絹がインド・ペルシャを通り遠くヨーロッパまで、そして東シナ海を越えて日本にも届く様々なテキスタイルデザインの源となるのです。

蘇州は刺繍のふるさとです。布に直接染色する技術は意外に歴史が浅く、古代には色糸を様々に変えて模様を描く刺繍が唯一の表現技法でした。そしてその技術は様々に技法を変えて世界各国に伝わりましたが、まさに芸術品の蘇州の刺繍を現地で見られたのは貴重な経験だったと思います。

刺繍製作中の現場を見せていただきました。上面の手と下面の手が器用に動き両面の模様を描いているところです。これは両面刺繍といって蘇州の特徴的な刺繍の技法で、衝立などを飾るものとして用いられるそうです。

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この衝立に張られた刺繍絵は表裏関係なくきれいな模様が描かれていて、その高度な手仕事の技術にはため息がでるほどでした。

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葦原の白鷺を微妙な色使いで表現したもの。絵筆で描いたような・・・・。

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日本に向けて帯も製作されています。一本の帯にびっしりと刺繍で埋められたどれも素晴らしい作品です。

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蘇州の女性は昔から刺繍が出来て一人前と見られたそうで、小さな頃から針を持たされて、年老いるまで刺繍針を手に美しい模様を布に描き続けます。ただ黙々と・・・・。

ここで余談ですが、絹糸を吐ききったあとの蚕は、何と食べてしまうそうです!実物を見たんですが、小さめのカブトムシの幼虫のような黒い色の蚕でした。でももしかしたら、その蚕を食べることでシルクのような美しい肌になれるのかしら、なんて思いました。この絹産業に携わっている女性たちの肌の美しさはそのせいかもしれません。

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路上点景~上海その2

蘇州の風物はまだまだありまして、写真を整理しつつ、旅の思い出にひたりつつ、一人で楽しい時間をすごしています。ちょっと予定を変更して、時系列的には順番が狂うのですが、迷ガイドが合流した二日目の夜からの上海の模様を書きます。ふるやのもりさんがまだかまだかと待ちわびてらっしゃるので(笑)。

仕事を終えて上海近郊の某市からバスでやってきた息子と夕食を取りに出かけました。だめよ、高級料理店は。普通の庶民的なものでいいからね!貧乏旅行なのよ!PC買い換えたから予算が少ないのよとうるさい母。息子に従い食べに行ったのは、ほとんどが紛食。麺類ね!(笑)

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写真はトンコツラーメン。スープが激ウマ!

メニューはご飯類も豊富でお値段も安い!上海駅前の「味千」というお店です。お店の雰囲気は日本風ですが、経営は中国人。日本のラーメン屋さんはここのラーメンを食べて反省しなさい、というくらいおいしいお店でした。17元(300円!!)から美味しいのが食べられるんですよ。

私はここで今まで生きてきた中で最高に辛いジャジャ麺を食べました。火を噴くかと思うくらい。子どもたちがゲラゲラ笑うんだけど、辛いんだけど・・・・美味しいの!最後まで食べました。写真を撮る余裕もないくらい強烈な辛さでした。食べた後のスープを見たら真っ赤!

中国の食べ物が最低だとか、庶民的なお店には入りたくないとか、そんな風に考える人は問題外ですけれどね。夜店でたこ焼きや焼きそばを普通に食べてるくせに、日本人は何であんなに騒ぐんでしょうね?農薬冷凍ギョウザは論外にしても、体に悪いもの(タバコやお酒、ジャンキーなスナック菓子など)普段からいっぱい摂っているのは日本人も同じでしょうに。

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息子もその日は上海に泊まり、翌日は上海の町を散策しました。朝からあいにくの雨模様でした。お目当ての外灘(ワイタン)やその対岸の浦東地区の先進的なビル街もご覧の通りです。

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迷ツアーガイドさん、地図を確認しつつ、歩くのはどこか怪しげな通りばかり(笑)。

ここはどこなの~~?

 

 

 

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外灘は租界時代の雰囲気が色濃く残る場所で、戦時中、たくさんの様々な立場の日本人(私の祖父母や母も含めて)が闊歩していたのだと思うとひとしきりの思いが沸き起こってきました。息子もそのあたりの事情は知っているので、古い建造物群にぼ~っと見とれながら歩いていました。

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お昼は上海で一番美味しいというショウロンポーのお店。

このお店もすごかったです。狭苦しい店内のテーブルでお皿に山盛りのショウロンポウを家族でつつき合いました。

周りを見回すとそんな風景は当たり前。行儀が悪くても叱られないし気取らずにただ食欲を十分に満たしてくれるところでした。

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娘と息子が何やら相談・・・・。ある場所にDVDショップがあってとんでもない品揃えと安さで客を引き寄せているらしく、映画好きな娘は目が光っています(笑)。

そこ行きた~い、連れてって~と兄貴に頼みこんで連れて行ってもらいました。地下鉄8号線の静安寺駅のそばにそのお店はありました。何と「コ○ー」の商品を堂々と商売しているのです。・・・・(ためいき)。お店の中にも入ってみましたよ。二人が好きな「スラムダンク」のアニメ全巻を見つけたときのうちのバ×兄妹のはしゃぎようったら!!(笑)もう、その後のことは申し上げません。ほにバ×兄妹がっ!!

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静安寺のハデハデな獅子飾り?その向こうに「上海そごう」、ここの地階にスーパーがあって日本の商品がずらり。よく立ち寄るようです。

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地下鉄にも乗りました。1号・2号・8号線があり、まだ新しく広々としています。乗り方はカンタン。行き先を確認して券売機で切符(市内3元、安い!)を買ったら自動改札でホームへ。案内板はわかりやすく表示され、地図があれば上海市内の足としてかなり強い味方になります。

2008_03280238 自動改札は行きは機会の上部の円盤に切符を軽くタッチし、回転棒を回しながら抜けます。出るときは切符を差込口に入れて、また回転棒を回して出ます。さ~、これであなたも上海メト